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Ken & Mary's Second Life
おくのほそ道
『笈の小文』の旅で芭蕉が詠んだ句は五十三句、詠まれた場所を辿る旅
日光路
岐阜県

芭蕉『笈の小文』の旅
1687年(貞亭4年)芭蕉44歳
10月25日 江戸旅立ち
11月04日 鳴海
熱田~鳴海戻り
保美村
伊良湖~鳴海戻る
熱田神宮
名古屋~伊賀
伊賀上野
伊勢神宮
神路山
伊勢~伊賀
奈良唐招提寺
大阪
尼崎~須磨
明石~須磨
布引~箕面
京都
大津


おくのほそ道
笈の小文(53句) 
貞享4年(1687)10月25日〜貞享5年(1688)4月23日 芭蕉44歳〜45歳
貞享4年(1687)10月25日、芭蕉は江戸を発ち、東海道を上り尾張の鳴海・熱田へ。門人越人を伴い、伊良湖岬で杜国を見舞う。再び鳴海・熱田・名古屋で当地の俳人たちから歓迎を受けて連日句会に出席。歳末に伊賀上野へ帰郷して越年。伊勢で杜国に会い、再度伊賀上野へ帰郷し父の33回忌を営む。春、杜国と連れ立ち、花の吉野へと向かう。和歌の浦・奈良・大坂・須磨に至り、4月23日に京都に入るまでの6か月の旅。 芭蕉は旅から数年を経た頃に、この紀行文の成立に向け力を注いだが、未定稿のまま門人乙州に預けて江戸に戻る。芭蕉没後15年を経た宝永6年(1709)に乙州が刊行する。『笈の小文』や、卯年(貞享4年)から辰年(同5年)に至るので『卯辰紀行』とも称する。序文で、芭蕉の「道すがらの小記を集め」たものと述べているように、風雅論、紀行論、旅論等が収載されており、必ずしもまとまった紀行文ではないが、長編よりも短編紀行文的な発想や、発句を一まとめにして作品に発表されたことが注目される。
旅人と我名呼ばれん初しぐれ
星崎の闇を見よとや啼く千鳥
京まではまだ半空や雪の雲
寒けれど二人寝る夜ぞ頼もしき
冬の日や馬上に氷る影法師
鷹一つ見付てうれしいらご崎
磨(とぎ)直す鏡も清し雪の花
箱根越す人も有らし今朝の雪
ためつけて雪見にまかる紙衣哉
いざ行む雪見にころぶ所まで
香を探る梅に蔵見る軒端哉
旅寝して見しやうき世の煤(すす)払ひ
歩行(かち)ならば杖突坂を落馬哉
旧里や臍の緒に泣年の暮
二日にもぬかりはせじな花の春
春立てまだ九日の野山哉
枯芝ややゝ陽炎の一二寸
丈六にかげろふ高し石の上
さまざまの事思ひ出す桜哉
何の木の花とは知らず匂哉
裸にはまだ衣更着の嵐哉
此山のかなしさ告よ野老掘(ところほり)
物の名を先(まづ)問ふ芦の若葉哉
梅の木に猶やどり木や梅の花
芋植(うゑ)て門は葎(むぐら)の若葉哉
御子良子(おこらご)の一本ゆかし梅の花
神垣や思ひもかけず涅槃像
吉野にて桜見せうぞ檜の木笠
草臥(くたびれ)て宿借(か)る比や藤の花
春の夜や籠り人どゆかし堂の隅
猶見たし花に明行(あけゆく)神の顔
雲雀より空にやすらふ峠哉
龍門の花や上戸の土産(つと)にせん
酒飲みに語らんかゝる滝の花
ほろほろと山吹散るか滝の音
桜狩り奇特や日々に五里六里
日は花に暮てさびしや翌檜(あすならう)
扇にて酒汲む影や散る桜
春雨の木下につたふ清水哉
父母のしきりに恋ひし雉の声
行春に和歌の浦にて追付たり
一つ脱いで後に負ぬ衣がへ
灌仏の日に生れあふ鹿の子哉
若葉して御目の雫拭(ぬぐ)はばや
鹿の角先一節の別れかな
杜若(かきつばた)語るも旅のひとつ哉
月はあれど留守のやう也須磨の夏
月見ても物たらはずや須磨の夏
海士の顔先見らるるや芥子(けし)の花
須磨の海士の矢先に鳴か郭公(ほととぎす)
ほととぎす消行方や島一つ
須磨寺や吹かぬ笛聞く木下闇
蛸壺やはかなき夢を夏の月


『笈の小文』芭蕉の足跡を辿る旅へ
貞享4年(1687年)『おくのほそ道』の旅の2年前、芭蕉は深川を出発し、伊良湖崎、伊勢、故郷の伊賀上野を経て大和、吉野、須磨、明石へと旅をした。
『笈の小文』はこの旅のことを書いた紀行文で芭蕉死後の宝永6年(1709年)に大津の門人河井乙州が『笈の小文』の書名で出版して世に知られるようになる。
芭蕉は「笈の小文」の旅で、歌枕や古典文学ゆかりの地を訪れることを重要視した。

『笈の小文』貞亭4~5年(1687~1688)芭蕉44歳 1687年 生類憐れみの令の発布。
10月25日 江戸を出立。『旅人と 我名呼ばれん 初しぐれ』 江戸を出立
11月04日 鳴海に着く。蕉門の下里知足邸に滞在。
『星崎の 闇を見よとや 啼く千鳥』
『京までは まだ半空や 雪の雲』
鳴海(愛知県名古屋市緑区鳴海町)
千鳥塚(鳴海町.日本最古の芭蕉の句碑と伝承される)裏面に知足の名前がある。松尾芭蕉の門人である下里知足の邸宅跡は、現在の千代倉歴史館(愛知県名古屋市緑区鳴海町)
11月08日 熱田へ。 熱田(愛知県名古屋市熱田区)
11月09日 鳴海へ戻る。 鳴海に戻る
11月10日 弟子・杜国のいる保美村へ。吉田で泊る『冬の日や 馬上に凍る 影法師』 愛知県田原市保美町
松尾芭蕉が保美の里に隠棲していた愛弟子の杜国を訪ねた時に詠んだ俳句の句碑が保美公民館前に建立されている。梅つばき 早咲ほめむ 保美の里
11月12日 弟子・杜国と伊良湖岬に遊ぶ。『鷹一つ 見付けてうれし 伊良湖崎』 伊良湖岬
11月16日 鳴海に戻る。 鳴海に戻る
11月21日~ ~24日 熱田に滞在。熱田神宮参拝。 熱田神宮参拝
11月25日 名古屋へ。
名古屋
12月10日 過ぎ  名古屋を発ち伊賀へ。 伊賀上野へ
12月下旬 伊賀上野に帰着。伊賀で越年。 『旧里や  臍の緒に泣く としの暮』
貞亭5年 1月1日(1688)45歳 『二日にも ぬかりはせじな 花の春』
1月9日 小川風麦亭の会にて 『春たちて まだ九日の 野山かな』 
2月初旬 伊賀を発ち、伊勢神宮に赴く。(途中上野の郊外阿波庄まで旧友・
 宗七・宗無を同伴) 『丈六に かげろふ高し 石の上』
伊勢神宮・滞在
2月4日 伊勢神宮参拝、数日伊勢に滞在する。滞在中、伊良胡崎から来た杜国と落ち合う。神宮中津益光亭で、参宮の句を発句に八吟歌仙興行
『何の木の 花とはしらず 匂哉』 網代民部雪堂亭に招かれ、発句・脇あり。『梅の木に 猶やどり木や 梅の花』
2月10日 嵐朝宅に泊。
2月上中旬 杉風宛書簡を執筆。(近況と今後の予定を報ず)
亡父三十三回忌に合わせて伊賀に戻ることや濁子一家への伝言も記す。 伊勢滞在中の吟会
『紙ぎぬの ぬるともをらん 雨の花』 園女亭
『のうれんの 奥物ぶかし 北の梅』 滞在中の発句
『梅稀に 一もとゆかし 子良の舘』
『御子良子の 一もと床し 梅の花』  
龍尚舎に逢う 『物の名を 先とふ蘆の わか葉哉』
二乗軒と言う草庵の会『やぶ椿 かどは葎の わかばかな』
『いも植て 門は葎の わか葉哉』 
菩提山即時『山寺の かなしさ告げよ ところ掘り』 
『此山の かなしさ告よ 野老掘』楠部『盃に 泥な落しそ むら燕』 
2月15日 外宮の舘にありて 『神垣や おもひもかけず 涅槃像』
2月17日 伊勢を出発。
2月18日 伊賀へ戻り、実家に帰る。亡父三十三回忌法要が営まれる。
伊賀へ戻り
2月19日 杜国・宗波来訪。宗七(造り酒屋)に手紙を持って接待用の酒一升を乞う。宗七は一泊のみ。
2月27日 神路山を出づるとて 『はだかには まだ衣更着の あらし哉』
2月末~3月初 岡本苔蘇(木白)の瓢竹庵に入り、杜国と共に約20日間を過ごす。  岡本苔蘇(木白)の瓢竹庵伊賀市上野東日南町にあたが、現在は愛染院(あいぜんいん)境内
3月11日 土芳の新庵に泊まる。土芳庵訪問の折、面壁の達磨の画図に「蓑虫の音を聞にこよくさのいほ」の句を賛して与える。(蓑虫庵の由来) 「うえのし」の駅から歩いて20分ほどのところにある、「蓑虫庵」
3月中旬 土芳庵で句文を草す。『香ににほへ うにほる岡の 梅のはな』 
旧主家藤堂探丸別邸の花見に招かれ、懐旧の句あり。探丸脇あり。
これを自筆に揮毫して贈る。 『さまざまの 事おもひ出す 桜かな』 
風麦子にて兼日の会に句を乞はれし時『あこくその 心もしらず 梅の花』伊賀の山家にありて『手鼻かむ 音さへ梅の さかり哉』『枯芝や ややかげろふの 一二寸』薬師寺月並初会『初桜 折しもけふは 能日なり』
3月11日 土芳の新庵に泊まる。
3月19日 瓢竹庵を出、万菊丸(杜国の戯号)を伴って、花見に吉野行脚に赴く。
吉野見物、高野山参詣の後、
吉野~高野山参詣
3月末 3月末、和歌浦に至る。
『花をやどに はじめをはりや はつかほど』 
『吉野にて 桜みせうぞ 檜笠』
初瀬にて 『春の夜や 籠り人ゆかし 堂の隅』 
『雲雀より 空にやすらふ 峠哉』『ほろほろと 山吹散るか 滝の音』『春雨の 木下につたふ 清水かな』『父母の しきりに恋し 雉子の声』
和歌山県和歌山市の「和歌の浦
3月下旬 南下して国見山の兼好塚を見物、琴引峠を越えて大和に入り、長谷寺参詣
国見山の兼好塚は『徒然草』吉田兼好が晩年を過ごし練ったとされる、三重県伊賀市種生の国見山の塚
4月上旬 奈良で唐招提寺などを見物。 『若葉して 御目の雫 ぬぐはばや』 長谷寺参詣
4月11日 奈良を出立。八木 耳成山の東に泊まる『草臥れて 宿かるころや 藤の花』 奈良県橿原市八木
4月13日 大坂に行き滞在。 大坂
4月19日 尼埼を出発 尼埼
4月20日 須磨、明石を巡る。須磨泊。 須磨、明石を巡る
4月21日 布引の滝、箕面の滝などを見物。 布引の滝、箕面の滝
4月23日 京都に入る。 京都
5月中旬~ 5月中旬~6月6日大津枡屋町の医者江左尚白亭などに滞在。 大津枡屋町=大津市浜大津2丁目
「笈の小文」伊賀上野への帰郷で終わる
「笈の小文」の旅の後、「更科紀行」の旅に出て、江戸に戻る。 
『笈の小文』 全文     1687年44歳
百骸九竅(ひゃくがいきゅうけい)の中に物有り。かりに名付けて風羅坊といふ。誠にうすものの風に破れやすからん事をいふにやあらむ。かれ狂句を好むこと久し。終に生涯のはかりごととなす。ある時は倦(うん)で放擲(ほうてき)せん事を思ひ、ある時は進んで人に勝たむ事を誇り、是非胸中にたたかふて、是が為に身安からず。暫く身を立てむ事を願へども、これが為にさへられ、暫く学んで愚を暁(さとら)ん事を思へども、是が為に破られ、つひに無能無芸にして只此の一筋に繋る。西行の和歌に於ける、宗祇の連歌に於ける、雪舟の絵に於ける、利休が茶における、其の貫道する物は一なり。しかも風雅におけるもの、造化に随ひて四時を友とす。見る処花にあらずといふ事なし。思ふ所月にあらずといふ事なし。像花にあらざる時は夷狄(いてき)にひとし。心花にあらざる時は鳥獣に類す。夷狄を出で、鳥獣を離れて、造化にしたがひ造化にかへれとなり。
 神無月の初、空定めなきけしき、身は風葉の行末なき心地して、
  旅人と我が名よばれん初しぐれ   又、山茶花を宿々にして岩城の住、長太郎と云ふもの、此の脇を付けて其角亭において関送りせんともてなす。
  時は冬よしのをこめん旅のつと此の句は露沾(ろせん)公より下し給はらせ侍りけるを、はなむけの初として、旧友、親疎、門人等、あるは詩歌文章をもて訪ひ、あるは草鞋の料を包みて志を見す。かの三月の糧を集むるに力を入れず。紙布・綿小などいふもの帽子したうづやうのもの、心々に送りつどひて、霜雪の寒苦をいとふに心なし。あるは小船をうかべ、別墅にまうけし、草庵に酒肴携へ来りて行衛(わくへ)を祝し、名残を惜しみなどするこそ、ゆへある人の首途するにも似たりと、いと物めかしく覚えられけれ。
 抑(そもそも)、道の日記といふものは、紀氏・長明・阿仏の尼の、文をふるひ情を尽してより、余は皆俤(おもかげ)似かよひて、其の糟粕を改むる事あたはず。まして浅智短才の筆に及べくもあらず。其の日は雨降り、昼より晴れて、そこに松有り、かしこに何と云ふ川流れたりなどいふ事、たれたれもいふべく覚え侍れども、黄奇蘇新(くわうそしん)のたぐひにあらずば云ふ事なかれ。されども其の所々の風景心に残り、山館・野亭の苦しき愁も、かつは話の種となり、風雲の便りとも思ひなして、忘れぬ所々跡や先やと書き集め侍るぞ、猶酔へる者の猛語にひとしく、いねる人の譫言(うはごと)するたぐひに見なして、人又亡聴せよ。
   鳴海にとまりて  星崎の闇を見よとや啼千鳥
 飛鳥井雅章公の此の宿に泊らせ給ひて、「 都も遠くなるみがたはるけき海を中にへだてて」と詠じ給ひけるを、自ら書かせ給ひて、たまはりけるよしをかたるに、京まではまだ半空や雪の雲 三川の国保美といふ処に、杜国が忍びて有りけるをとぶらはむと、まづ越人に消息して、鳴海より跡ざまに二十五里尋ね帰りて、其の夜吉田に泊る。
 寒けれど二人寝る夜ぞ頼もしき あまつ縄手、田の中に細道ありて、海より吹上ぐる風いと寒き所なり。
 冬の日や馬上に氷る影法師
 保美村より伊良古崎へ壱里ばかりも有るべし。三河の国の地つゞきにて、伊勢とは海隔てたる所なれども、いかなる故にか、万葉集には伊勢の名所の内に撰び入れられたり。此の洲崎にて碁石を拾ふ。世にいらご白といふとかや。骨山と云ふは鷹を打つ処なり。南の海の果にて、鷹のはじめて渡る所と云へり。いらご鷹など歌にもよめりけりと思へば、猶あはれなる折ふし、  鷹一つ見付てうれしいらご崎
   熱田御修覆
 磨(とぎ)なをす鏡も清し雪の花
 蓬左(ほうさ)の人々に迎ひとられて、しばらく休息する程
 箱根こす人も有るらし今朝の雪
   有人の会
 ためつけて雪見にまかるかみこ哉
 いざ行かむ雪見にころぶ所まで
   ある人興行
 香を探る梅に蔵見る軒端哉
 此の間、美濃・大垣・岐阜のすきものとぶらひ来りて、歌仙、あるは一折など度々に及ぶ。
 師走十日余り、名ごやを出でて、旧里(ふるさと)に入らんとす。
 旅寝してみしやうき世の煤はらひ「 桑名よりくはで来ぬれば」と云ひ日永の里より、馬かりて杖つき坂上るほど、荷鞍うちかへりて馬より落ちぬ。 歩行ならば杖つき坂を落馬哉と物うさのあまり云ひ出で侍れ共、終に季ことば入らず。
 旧里や臍の緒に泣くとしの暮 宵のとし、空の名残惜しまむと、酒のみ夜ふかかして、元日寝わすれたれば、
 二日にもぬかりはせじな花の春
 初春
 春立ちてまだ九日の野山哉 枯芝ややゝかげらふの一二寸 伊賀の国阿波の庄といふ所に、俊乗上人の旧跡有り。護峰山新大仏寺とかや云ふ、名ばかりは千歳の形見となりて、伽藍は破れて礎を残し、坊舎は絶えて田畑と名の替り、丈六の尊像は苔の緑に埋もれて、御ぐしのみ現前とおがまれさせ給ふに、聖人の御影はいまだ全くおはしまし侍るぞ、其の代の名残疑ふ所なく、泪こぼるゝばかり也。石の蓮台、獅子の座などは、蓬(よもぎ)・葎の上に堆く、双林の枯れたる跡も、まのあたりにこそ覚えられけれ。
 丈六にかげらふ高し石の上 さまざまの事おもひ出す桜哉
  伊勢山田
 何の木の花とはしらず匂哉
 裸にはまだ衣更着の嵐哉
   菩提山
 此の山のかなしさ告げよ野老掘(ところぼり)
   龍尚舎
 物の名を先づとふ芦の若葉哉
   網代民部雪堂に会
 梅の木に猶やどり木や梅の花
   草庵会
 いも植えて門は葎のわか葉哉
 神垣のうちに梅一木もなし。いかに故有る事にやと、神司などに尋ね侍れば、只何とはなし、おのづから梅一もともなくて、子良の館の後に、一もと侍る由を語り伝ふ。
 御子良子の一もとゆかし梅の花
 神垣やおもひもかけず涅槃像
 弥生半ば過ぐる程、そゞろに浮き立つ心の花の、我を道引枝折となりて、吉野の花に思ひ立たんとするに、かの伊良古崎にてちぎり置きし人の、伊勢にて出むかひ、共に旅寝のあはれをも見、且は我が為に童子となりて、道の便りにもならんと、自ら万菊丸と名をいふ。まことにわらべらしき名のさま、いと興有り。いでや門出のたはぶれ事せんと、笠のうちに落書す。
   乾坤無住同行二人
 よし野にて桜見せうぞ檜の木笠
 よし野にて我も見せうぞ檜の木笠  万菊丸
 旅の具多きは道ざはりなりと、物皆払ひ捨てたれども、夜の料にと紙衣壱つ、合羽やうの物、硯、筆、紙、薬等、昼笥なんど物に包みて、後に背負ひたれば、いとど脛弱く、力なき身の跡ざまにひかふるやうにて、道猶進まず。ただ物うき事のみ多し。
 草臥れて宿かる比や藤の花
   初瀬
 春の夜や籠り人ゆかし堂の隅
 足駄はく僧も見えたり花の雨  万菊
   葛城山
 猶みたし花に明け行く神の顔
   三輪 多武峯
   臍峠 多武峯ヨリ龍門ヘ越ス道也
 雲雀より空にやすらふ峠哉
   龍門
 龍門の花や上戸の土産にせん
 酒のみに語らんかゝる滝の花
   西河
 ほろほろと山吹ちるか滝の音
   蜻めいが滝
布留の滝は布留の宮より二十五丁山の奥也。
 津国幾田の川上に有 大和
  布引の滝 箕面の滝
  勝尾寺へ越る道に有り。
   桜
 桜がりきどくや日々に五里六里
 日は花に暮てさびしやあすならふ
 扇にて酒くむかげやちる桜
   苔清水
 春雨のこしたにつたふ清水哉
 吉野の花に三日とどまりて、曙、黄昏のけしきにむかひ、有明の月の哀なるさまなど、心にせまり胸にみちて、あるは摂政公のながめにうばはれ、西行の枝折にまよひ、かの貞室が是はこれはと打ちなぐりたるに、われいはん言葉もなくて、いたづらに口をとぢたる、いと口をし。おもひ立ちたる風流、いかめしく侍れども、爰(ここ)に至りて無興の事なり。
   高野
 ちちははのしきりにこひし雉の声
 ちる花にたぶさはづかし奥の院  万菊
   和歌
 行く春にわかの浦にて追付きたりきみ井寺
 跪はやぶれて西行にひとしく、天龍の渡しをおもひ、馬をかる時はいきまきし聖の事心に浮ぶ。山野海浜の美景に造化(ざすか)の功を見、あるは無依の道者の跡を慕ひ、風情の人の実をうかがふ。猶栖を去りて器物の願ひなし。空手なれば途中の愁もなし。寛歩駕にかへ、晩食肉よりも甘し。とまるべき道に限りなく、立つべき朝に時なし。只一日の願ひ二つのみ。こよひよき宿からん、草鞋のわが足によろしきを求めんとばかりは、いさゝかのおもひなり。時々気を転じ、日々に情をあらたむ。もしわづかに風雅ある人に出合ひたる、悦かぎりなし。日比は古めかしく、かたくななりと悪(にく)み捨てたる程の人も、辺土の道づれにかたりあひ、はにゅう・むぐらのうちにて見出したるなど、瓦石のうちに玉を拾ひ、泥中に金を得たる心地して、物にも書付、人にも語らんとおもふぞ、又是旅のひとつなりかし。
   衣更 一つぬいで後に負ひぬ衣がへ
 吉野出て布子売りたし衣がへ  万菊
 灌仏(かんぶつ)の日は、奈良にて爰(ここ)かしこ詣で侍るに、鹿の子を産むを見て、此の日においてをかしければ、
 灌仏の日に生れあふ鹿の子哉 招提寺鑑真和尚来朝の時、船中七十余度の難をしのぎ給ひ、御目のうち塩風吹入て、終(つひ)に御目盲(めしひ)ひさせ給ふ尊像を拝して、
 若葉して御めの雫ぬぐはばや
   旧友に奈良にて別る
 鹿の角先づ一節の別れかな
   大坂にてある人のもとにて
 杜若(かきつばた)語るも旅のひとつ哉
   須磨
 月はあれど留守のやう也須磨の夏
 月見ても物たらはずや須磨の夏
 卯月中比の空も朧に残りて、はかなきみじか夜の月もいとど艶なるに、山は若葉にくろみかゝりて、時鳥(ほととぎす)鳴き出づべきしのゝめも、海の方よりしらみそめたるに、上野とおぼしき所は、麦の穂波あからみあひて、漁人の軒近き芥子(けし)の花の、たえだえに見渡さる。
 海士の顔先づ見らるるやけしの花
 東須磨・西須磨・浜須磨と三所に分れて、あながちに何わざするとも見えず。「 藻塩たれつゝ」など、歌にも聞え侍るも、いまはかゝるわざするなども見えず。きすごといふ魚を網して、真砂の上に干し散らしけるを、鳥の飛び来りてつかみ去る。是をにくみて弓をもておどすぞ、海士のわざとも見えず。もし古戦場の名残をとゞめて、かゝる事をなすにやといとゞ罪深く、猶むかしの恋しきまゝに、てつかひが峯にのぼらんとする、導きする子のくるしがりて、とかく言ひ紛らはすをさまざまにすかして、「 麓の茶店にて物くらはすべき」など云ひて、わりなき体に見えたり。かれは十六と云ひけん里の童子よりは、四つばかりもおとうとなるべきを、数百丈の先達として、羊腸険岨の岩根をはひのぼれば、すべり落ちぬべき事あまたたびなりけるを、つつじ・根笹にとりつき、息を切らし、汗をひたして、漸(ようよう)雲門に入るこそ、心もとなき導師のちからなりけらし。
 須磨のあまの矢先に鳴くか郭公(ほととぎす)
 ほとゝぎす消え行く方や嶋一つ
 須磨寺や吹かぬ笛きく木下やみ
   明石夜泊
 蛸壺やはかなき夢を夏の月
 かかる所の秋なりけりとかや。此の浦の実は秋をむねとするなるべし。悲しさ、淋しさ云はむかたなく、秋なりせば、いささか心のはしをもいひ出づべき物をと思ふぞ、我が心匠の拙なきを知らぬに似たり。淡路嶋手に取るやうに見えて、須磨・明石の海右左にわかる。呉楚東南の詠もかゝる所にや。物しれる人の見侍らば、さまざまの境にも思ひなぞらふるべし。
  又後の方に山を隔てて、田井の畑といふ所、松風・村雨ふるさとといへり。尾上つゞき丹波路へかよふ道あり。鉢伏のぞき、逆落など恐ろしき名のみ残りて、鐘懸松より見下すに、一の谷内裏やしき、めの下に見ゆ。其の代の乱れ、其の時のさはぎ、さながら心に浮び、俤につどひて、二位の尼君、皇子を抱き奉り、女院の御裳(おんもすそ)に御足もたれ、船やかたにまろび入らせ給ふ御有様、内侍・局・女嬬(にょじゅ)・曹子のたぐひ、さまざまの御調度もてあつかひ、琵琶・琴なんど、しとね・蒲団にくるみて船中に投げ入れ、供御はこぼれて、うろくづの餌となり、櫛笥は乱れてあまの捨草となりつつ、千歳のかなしび此の浦にとどまり、素波の音にさへ愁多く侍るぞや。


草の戸も住替る代ぞひなの家
文月や 六日も常の 夜には似ず 
荒海や 佐渡によこたふ 天河  
おくのほそ道
草の戸も住替る代ぞひなの家 草の戸も住替る代ぞひなの家
新潟県上越市 (32) 文月(ふみづき)や 六日も常の 夜には似ず
(意) 明日七夕は、織姫と彦星が出会う年に1度の夜、それを思うと、その前日の今日6日の夜は、いつもの夜と違いわくわくする。
おくのほそ道
終
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