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『小津の秋』上諏訪と蓼科ハイキング
2020年10月14〜16日
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列車・電車 バス 徒歩 ホテル
2020年10月14日(水)
新宿駅
茅野
上諏訪
 
茅野
蓼科グランドホテル


1日目/10月14日(水)⇒
2日目/10月15日(木)⇒
3日目/10月16日(金)⇒

茅野駅『ベルビア』/小津安二郎記念館

小津安二郎監督
小津作品|東京物語↑ 晩春


 映画『小津の秋』 信州・蓼科へ50年ぶりのハイキング


新宿駅発 午前11時の あずさ17号に乗って長野県茅野へ出発


空席の多い車内

日本旅行/赤い風船 GoTOトラベル手配

茅野駅12:59分到着。


茅野駅で普通電車に乗換え上諏訪へ

茅野で13:05分の上田行普通電車に乗り換え僅か6分で上諏訪駅に到着。


上諏訪駅

新宿〜茅野乗車券を上諏訪で清算(二人で400円)して駅を出る。最初の目的地は「高島城」


上諏訪ケヤキ並木通り

上諏訪で清算して駅を出る。風情のあるケヤキ並木通りを歩き最初の目的地「高島城」へ向かう


信州みそ「丸高蔵 みそ茶屋千の水」

「丸高蔵 みそ茶屋千の水」の前を通る。 1916年(大正5年)創業の信州みその老舗で、創業にあたり、醸造蔵である鰍沢蔵は、
驚いたことにに我が故郷、山梨県富士川町鰍沢から穀蔵を移築した大きな土蔵だった。それとともに吉沢蔵は山梨県の紡績工場の倉庫を移築。


大正7年:鰍沢蔵(山梨鰍沢から移築)        吉沢蔵(山梨吉沢から移築)    

丸高蔵から 道なりに進むと間もなく美しい「高島城」前へ。

諏訪の浮城 高島城
高島城は、長野を代表する湖、諏訪湖畔にある城で、戦国時代に諏訪地方を治めた諏訪家が城主となった城。諏訪家は『風林火山』の物語と密接に絡む役割を持ち、国境を接する武田家と諏訪家は一時期敵対したものの和睦を結び、諏訪頼重が武田家から正室を迎え同盟関係となる。しかし武田信玄が父である武田信虎を追放し、天下取りに乗り出すにあたり、山本勘助が軍師として信濃攻略を提案、その一歩として同盟を結んでいたはずの諏訪家を攻略し、滅亡に追い込むと、この戦において諏訪頼重の娘、由布姫を甲斐へ連れ帰り側室に。敵方の娘を側室とすることに対する重臣の反発を押さえ込み、一族の仇である武田家の側室となることを選ぶ由布姫を影で支えるのが山本勘助だった。
由布姫は武田信玄との間に勝頼を生むが、若くして病に倒れ命を落とす薄幸のヒロイン。そんな由布姫の故郷である諏訪では武田氏滅亡の後、諏訪頼重の従兄弟である諏訪頼忠が大名として諏訪家を再興し、頼忠の息子である諏訪頼水が高島城のある高島藩に転封。その後明治維新まで諏訪家が諏訪一帯を治めることになる。
由布姫は、歴史上の史料が少なく実名がはっきりしないことから、小説によって呼び名が変わって、新田次郎氏の『武田信玄』では"湖衣姫"、海音寺潮五郎氏の『天と地と』では"諏訪御料人"と呼ばれ、井上靖『風林火山』での呼び名"由布姫"として紹介している。
高島城の内部には、資料室と展望室が設けられています。展望室からは諏訪の街を一望できます。
高島城は、廃藩置県の折に廃城となり天守閣が壊されたが、1970年(昭和45年)に天守閣や櫓が再建された。大河ドラマ『風林火山』で注目が集まることから、高島城では天守閣内の展示物を全面的にリニューアル、2007年4月から5月にかけては高島城と諏訪市内全域で「諏訪由布姫まつり」というキャンペーンも行われている。

諏訪湖.小坂公園 供養塔

1988年大河ドラマ「武田信玄」原作/新田次郎 で湖衣姫(諏訪御料人)を演じた南野陽子 

2007年大河ドラマ「風林火山」原作/井上靖 で由布姫(諏訪御料人)を演じた柴本幸  

上諏訪「高島城」

戦国時代、諏訪氏と武田氏は武田信玄の妹を諏訪頼重の正室に迎えて関係を強化したが、父信虎を追放した信玄が天文11年に突如諏訪に侵攻、諏訪頼重は抵抗するものの降伏し、諏訪は武田領となった。天正10年、信玄の子勝頼が織田信長に敗れて武田氏が滅ぶと、今度は織田氏の領有となるが、本能寺の変の後、頼重の従弟で、上社大祝だった諏訪頼忠が本能寺の変を聞いて蜂起した諏訪の旧臣に迎えられ諏訪氏を復活、織田氏の勢力を諏訪から追い払い諏訪を取り戻した。


高島城から諏訪湖に向かう。


諏訪湖ヨットハーバー横 百景園前へ


諏訪湖畔を歩く。


諏訪湖

1日目/10月14日(水)⇒
2日目/10月15日(木)⇒
3日目/10月16日(金)⇒




諏訪湖畔「かりん並木道」


諏訪湖畔 衣ケ崎橋を渡った先「湖明館通り」から上諏訪駅へ向かう。


かりん並木道

「湖明館通り」の名前の由来は、明治時代に諏訪湖開発の先駆者諏訪出身の金子兵助氏が建設した「金湖園湖明館」という貸席(時間で席を貸す座敷)があり、そこへ続く道沿いに商店が並び、現在の街並みが出来た。

この通りは7年目に一度の「手長神社御柱祭」の際曳行(えいこう)がこの狭い通りを抜けていくらしい。

諏訪大社御柱祭⇒


「湖明館通り」手長神社御柱祭 曳行(えいこう)の行われる通り

湖明館通りからケヤキ並木通りへ、上諏訪駅へはもう一息

上諏訪の街を一周し駅に戻る。上り電車に乗って茅野へ


茅野駅

今夜の宿「蓼科グランドホテル・滝の湯」の送迎バスを待つ間 茅野駅構内の観光案内所を見学


観光案内所には茅野が誇る国宝「縄文のヴィーナス」の案内がされている。
縄文のヴィーナスは茅野市棚畑遺跡で発見された土偶。妊婦を表していることから、子孫繁栄、豊穰などの願いが込められていたと考えられているが、確かなことはわかっていない。


茅野駅構内に見事な紅葉

茅野駅前で蓼科グランドホテル滝の湯の送迎バスが待機していた。
名前を告げ乗車の際アルコール消毒をして乗車。マイクロバスだがこんな時期でも満員の乗客。


蓼科グランドホテル滝の湯

15:00分ホテルに到着。玄関ホールに入るとチェックインする客の行列が出来ている。最後尾について30分程待ってやっとチェックイン手続き。コロナ禍の最中にしてこの盛況なのには少しびっくり。


チェックインはソーシャルディスタンスをとっていて ロビーに 長〜い行列
蓼科グランドホテル2泊+交通費=56800-GoTo割引=36920円 地域振興券9000円

チェクイン、510号室。早速お風呂へ
大浴場はホテル敷地内を流れる滝の湯川を渡って行く。
チェックイン直後のお風呂は大抵がらがらなのでゆっくり入るにはこの時間がベスト。



最初に3階大浴場に入って汗を流しゆっくり浸かってから、一度浴衣に着替えて、廊下を渡って露天風呂専用エレベーターに乗って渓流露天風呂へ。
渓流露天階は内風呂とサウナ、4つの露天風呂がある。時間をかけて全部入る。


蓼科グランドホテル滝の湯/渓流露天風呂...ホテルHP写真

お風呂から出ると少し歩き疲れたので部屋で横になり一休み。

17時半夕食時間になって一階レストランへ。
ここもソーシャルディスタンスを考えて席を割り振っているので 入口には長い列。



1階レストラン「エルバージュ」

滝の湯案内によると、
『高原野菜のサラダや本格窯焼きピザなど食彩王国長野の旬の食材を使用した和食・洋食・スイーツ全70種以上がそろう壮観のディナービュッフェ。 全長約15mのライブキッチンカウンターには料理人が並び、できたて料理を目の前でご提供します。 信州の“御馳走”を、お腹一杯召し上がってください。』という宿自慢のヴァイキング。



蓼科グランドホテル 1階レストラン「エルバージュ」

宿の自慢というが所詮はヴィキングは何処で食べても大同小異、作り置き料理のオンパレードだが味付けは良い。好きなものだけチョイスできることだけがメリット。


一つ一つ料理をうまいだの今一つだの品評しながら、ついつい腹十分目以上食べ過ぎてしまうのだから、夕食ヴァイキングは不健康極まりない。食事の出し方は経営効率を考える宿の事情も理解できる。できれば部屋でゆっくり食べたいが料金を考えて妥協する。

2020年10月15日(木)
蓼科グランドホテル
無芸荘
蓼科湖
蓼科グランドホテル



1日目/10月14日(水)⇒
2日目/10月15日(木)⇒
3日目/10月16日(金)⇒



ホテル敷地内を流れる滝の湯川

2日目朝は早起きし、ラジオ体操してお風呂へ。窓の外は深い霧。
8時半一階レストランで朝食へ


1階レストラン「エルバージュ」

今日は外出してGoTo地域振興券を使う予定なので、売店を覗いていく。


ロビーには「仮面の女神」と「縄文のヴィーナス」記念写真ブース

あいにくの天候だが、雨具と身支度をして 10時〜ウォーキングに出発。


蓼科グランドホテル・滝の湯

蓼科グランドホテルがある位置は標高1300bの高さ。深い霧なのか、雲の中にいるのだろうか?

タイムカプセルが埋めれらた
1940(昭和15)年はこんな時代

ホテルを出てヴィーナスラインを登っていく。しばらく歩くと、
紀元二千六百年文化柱の標識の立つ建造物。
なんだろうと寄って見る。書かれた説明では
【この建造物は日本紀元二千六百年を記念して、当時の新聞、雑誌、図書などの文化物を一百年後の子孫への贈り物とする目的として新聞社が地元・湯川区(現茅野市)のご協力を得て昭和15年(1940年)に建設したタイムカプセルで、ドーム内には六千余点の文化物を収蔵して、それから100年後の2040年元旦に開扉される】 
100年を経て開扉されるまであと20年、見てみたい。
   
昭和15年のタイムカプセル
『紀元二千六百年文化柱』
西暦2040年開扉

 K=93歳 M=91歳
 生きていたら見に来たい
昭和15年建築のタイムカプセル『紀元二千六百年文化柱』
この建物は日本紀元二千六百年を記念して、当時の新聞、雑誌、図書などの文化物を一百年後の子孫への贈り物とする目的として新聞之新聞社が地元・湯川区(現茅野市)のご協力を得て昭和十五年(一九四〇)に建設したタイムカプセルです。ドーム内に六千余点の文化物が収蔵されていて、二〇四〇年元旦に開扉されます-- と、タイムカプセルには記載されている。

更に山道を進んでしばらく歩くと、目指した小津安二郎監督の山荘『無藝荘』に到着。
映画『小津の秋』の舞台になった建物。


1日目/10月14日(水)⇒
2日目/10月15日(木)⇒
3日目/10月16日(金)⇒




小津安二郎記念館・無藝荘 
映画『小津の秋』一場面

小津安二郎記念館・無藝荘
小津安二郎と蓼科について
映画監督、小津安二郎(1903〜63年)が晩年に映画の構想を練った長野県の蓼科高原が脚光を浴びている。最後の未刊行一次資料とされる蓼科滞在中の日記「蓼科日記」の抄録が刊行された。「僕たちの健康の源をつくってくれたのが蓼科。大人の休みの過ごし方にあこがれを持てる場所だった」と語る俳優の中井貴一さんは小津映画の常連、佐田啓二を父に持つ。東京生まれで「田舎がない」という中井さんだが、幼い頃から姉の中井貴恵さんとともに、夏休みになると家族で蓼科で過ごす生活をしており、同地への思い入れが強い。
中井さんが子どものころに毎夏を蓼科で過ごしたのも、もとは蓼科を気に入った小津が、息子のようにかわいがった佐田に山荘を持つようすすめたためだ。
小津が初めて蓼科を訪れたのは1954年。56年から本格的に、それまで神奈川県茅ケ崎市の「茅ケ崎館」で行っていた執筆作業を蓼科に移した。57年公開の「東京暮色」以降、最後の作品となる「秋刀魚の味」までの7本のうち「彼岸花」を除く6本をここで執筆した。小津は長野県とそれまで特に縁があったわけではなく、コンビを組んだ脚本家の野田高梧が蓼科に別荘「雲呼(うんこ)荘」を持っていたことが直接のきっかけとなった。「晩春」「麦秋」「東京物語」といういわゆる「紀子3部作(主演女優・原節子の役名にちなむ)」で一つの頂点を極めた小津が、新天地を求めたという意味もあったようだ。
小津と野田の蓼科での生活が脚光を浴びるのは、「蓼科日記 抄」が刊行されたことが大きい。2人は「雲呼荘」で共同生活をしながら映画を構想した。この「蓼科日記 抄」はもともとこの「雲呼荘」に備え付けられていた18冊のノートであり、野田と小津のほかにも訪れた客は皆が何かを書き込まなくてはいけない雑記帳とされていた。
とにかくよく歩き、よく酒を飲んだ2人の生活が日記から伝わる
日記によく登場する「ダイヤ菊」という地元の日本酒。2人で一升瓶100本が映画1本完成の目安だったとも言われ、俳優・笠智衆は自らの回想録に空き瓶が並んださまを「なんやら、酒屋さんの裏みたいだなあ」と書き残している。
■「小津の散歩道」を確定
小津と野田は、自らが気に入った蓼科に、佐田のほかにも多くの映画関係者をそばに呼び寄せた。このため周辺には笠智衆や映画監督の新藤兼人、井上和男といったそうそうたる映画関係者の山荘が集まり、日本映画の黄金期に思いを寄せるのにふさわしい場所となった。
「ここに来た小津は『眺望甚だ絶佳』と書いています。ここで『早春』というタイトルも決まりました」丘に立つ大きな桜のそばで、案内役の映像プロデューサー、北原克彦さんの話。地元の茅野市は今年7月に「小津の散歩道」に10カ所の案内板を設置、案内パンフレットも作製した。
■笠智衆の山荘も
長く使われていなかった笠智衆の山荘も地元有志によって掃除され、いつでも使えるように整備された。長女の川西成子さんが思い出を語る催しを開いたほか、「映画祭などイベントの際に活用する了解を得た」(茅野市観光課)という。
蓼科にはこんなにたくさんの著名人の山荘があったのだ。以外な「花子とアン」宮崎(柳原)白蓮さんの名も...


脚本家.野田高梧は『晩春』
以降全ての小津作品を野田の
「雲呼荘」で小津と共作した


小津と野田.婦人.娘


小津安二郎記念館・無藝荘 裏口

無藝荘/高浜虚子句碑

小津安二郎記念館・無藝荘を見学したあと蓼科湖方面へ向かう。

2`ほど歩くと蓼科湖畔に建つ「リゾートホテル蓼科」前に出る。
映画「小津の秋」では主人公が長逗留したホテル。2007年撮影当時のホテル名は「アートランドホテル」



1日目/10月14日(水)⇒
2日目/10月15日(木)⇒
3日目/10月16日(金)⇒



現在はリゾートホテル蓼科

映画『小津の秋』一場面

主演:沢口靖子 映画『小津の秋』蓼科での一場面 
映画『小津の秋』 あらすじ【2007年公開/キネマ旬報データベース】
新聞記者の佐々木明子(沢口靖子)は、父の遺品を持って蓼科に来た。取材もあったが、実は探している人に会えるかもしれない、という予感があった。高原のホテルは秋の気配が立ち籠め、湖は色づいた木立を映していた。明子が吉岡園子(藤村志保)という老婦人を最初に見かけたのは、観光スポットにもなっている小さな庵、無藝荘だった。無藝荘の守女である園子に、ホテルの支配人(栗塚旭)が恭しく紅茶を注ぎ差し出していた。薄汚れた老婆に仕える紳士、それは奇妙な取り合わせだった。明子はそんな二人に興味を持つ。最初は固く心を閉ざしていた園子だったが、徐々に心を開いていった。「わたし、人殺しなの」嘘か本当か分からない園子の話に明子は引き込まれていく。園子の穏やかな顔のなかにも戦争の深い傷痕があった。また、明子には恋人の達也と少し距離を置いて、もう一度自分を見つめ直したいという気持ちもあった。付き合って5年、達也とも最近なにかしっくり来ない苛立ちを感じていた。結婚に踏み切れない自分の中のわだかまり…。園子のもうひとつの記憶、それは今の明子と同じような年頃のことだった。戦後の混乱の中、園子は家族のために働き続けた。結婚なんてする資格がないと考えていた。そんなとき蓼科に女神湖の開発設計の青年と園子は恋に落ちた。二人は愛を深めていったが、青年には妻子がいた。二人で外国に行こうと約束した日、青年は来なかった。園子は身篭っていた子供を堕ろし、一人旅に出た。明子は父の遺品である一冊の文庫本を園子に渡した。「あなたが父に贈ったものですね。あなたのおかげで母は狂い私の家庭は地獄のようになりました。父の心にはあなたしか映っていなかった」文庫本には愛の証である花が挟まれていた。「たとえこの身が灰になっても、わたしはあの人を愛しつづけます」園子は明子に言った。蓼科に初雪が降った。園子は一人雪を見ていた。淡い雪は積もることなく、蓼科の高原を滑るように転がり、溶けた。「園子さん、今日は温かいスープとサンドイッチを用意しました」振り向くとホテルの支配人が少し足を引きずりながら近付いてきた。「茂ちゃん、いつもありがとう」園子は女神のようにほほえむのだった。 

リゾートホテル蓼科の敷地を通って進むと広大な彫刻公園に出る。


リゾートホテル蓼科/彫刻公園広場は蓼科湖畔までつづいている。あちこちに彫像が展示されている。








 天気が良ければもっともっといいのだけれど、綺麗に良く整備された公園散歩はとても気持ちいい。


 蓼科湖に到着、湖畔を歩いて対岸へ。
正面にリゾートホテル蓼科、晴れていれば遠くに蓼科山と北横岳が控えているはず。


昔の写真にも写っている対岸の蓼科湖畔アートランドホテル(現在名リゾートホテル蓼科)

 50年前1970年蓼科湖で撮影 左後方に蓼科山、右に北横岳がはっきり判る

1970年(昭和45)4月22日K23歳、M21歳、結婚一年前に行った蓼科湖で 当時写真撮った場所はどの辺りだろうか?  周辺を歩き回り探してみる。しかし、後方に見えるはずの蓼科山と北横岳が曇って見えないので当時の場所が特定できない。


50年前この辺りも歩いたはず。

昔撮影場所は特定できず心残りだったが、ひとときの古き良き時代へ”センチメンタルジャーニー”


帰り道は、彫刻公園に出てヴィーナスラインをホテルへ向かう。


どんよりした天候だが雨には合わず無事ホテル入口にたどり着く。


駐車場わきに33体の観音さま像。

グランドホテル蓼科・滝の湯は大正12年創業の老舗旅館で天皇陛下が皇太子時代に4度も宿泊された由緒ある温泉旅館。諏訪の高島藩直轄の山の霊湯でもあったと記載されている。


宿に戻って午後から開いている渓流露天風呂へ。


渓流露天風呂へは長〜い渡り廊下を渡っていく。渓流の木々も色づきはじめている。


お風呂への途中に 読書室やマッサージチェアなど置かれている休憩室。



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2日目/10月15日(木)⇒
3日目/10月16日(金)⇒



今夜も夕食は17:30〜一階レストランで。昨夜ほどの混雑もなく静かにいただけた。

2020年10月16日(木)
蓼科グランドホテル
茅野駅
新宿駅





1日目/10月14日(水)⇒
2日目/10月15日(木)⇒
3日目/10月16日(金)⇒



蓼科グランドホテル・滝の湯

帰りの日。早朝最後のお風呂に入る。


ホテルロビーのハロウィン飾り

朝食後、先にチェックアウトして売店に寄り「地域振興券」を利用しお土産を買う。

蓼科グランドホテル2泊+交通費=56800-GoTo割引=36920円 地域振興券9000円

蓼科グランドホテル10:00の送迎バスで茅野駅へ。

茅野駅前広場に展示:国鉄C12形蒸気機関車

茅野駅前広場に国鉄C12形蒸気機関車が展示








茅野駅前広場に巨大なもみの木と思ったら、プンゲンストウヒという、マツ科の常緑針葉種。
綺麗な木だ。
広場には茅野の誇り、こんな彫像「仮面の女神」と「縄文のヴィーナス」も。


茅野駅ビル『ベルビア』内 小津安二郎記念館を見学。


茅野駅『ベルビア』/小津安二郎記念館

小津安二郎監督
小津作品|東京物語↑ 晩春↓
名作のポスターや愛用品の数々が展示

茅野駅『ベルビア』/小津安二郎記念館
監督使用の浴衣、昔の人は体型は小さかった

こんなレトロなお店もある。


茅野駅の土産物店で残った地域振興券を使って、七味と信州みそを買う。


再来年の2022年、七年に一度の諏訪大社「御柱祭」が開催される、その時に又、茅野に これればいいなと思う。


1日目/10月14日(水)⇒
2日目/10月15日(木)⇒
3日目/10月16日(金)⇒




茅野駅発 11:39分 あずさ22号、新宿着13:42分の列車で帰る

『小津の秋』上諏訪と蓼科ハイキング
終
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