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1作 2作 |
男はつらいよ 第一作 1969年(昭和44年)8月『男はつらいよ』 | 男はつらいよ 第二作1969年(昭和45年)11月『続・男はつらいよ』 | |||||||||||||||||||||||||||
マドンナ:光本幸子(御前様の娘 冬子) 京都府、奈良県 |
マドンナ:佐藤オリエ(チェロ奏者 夏子) 京都府、三重県 |
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あらすじ | あらすじ | ||||||||||||||||||||||||||||
車寅次郎は、“フーテンの寅”と呼ばれる香具師。父親と喧嘩し |
フーテンの寅こと車寅次郎は、故郷・葛飾を離れ、弟分の登としがない稼業を続けていた。そんなある日、北海道でうまい仕事があるとの知らせに出発したが、途中なつかしい妹さくらや、おじ、おばの顔みたさに東京で下車したのが運のつき。茶一杯で退散と決心したが、中学時代の坪内先生の家の前を通りかかり、懐かしさの余り、玄関先で挨拶のつもりが、出てきたお嬢さんの美しさに惹かれ、さっきの決心もどこへやら、上がりこみ、飲むわ食うわがたたって、腹痛を起こし、病院へかつぎこまれた。苦手の注射を打たれて卒倒し、一週間の入院を命じられた。その上、退屈そうな入院患者相手に香具師の実演をやらかし、藤村医師に見つかり、個室に入れられ、たまらず窓から脱出した。が、地元のチンピラに因縁をつけられ、大喧嘩の末、留置所入りの破目になった。さくらは泣くやら、おじとおばは怒鳴るやらの喧嘩の末、夜逃げ同様に柴又を後にした。北海道の仕事はうまくいかず、再び登と本州に戻った寅は東京を素通りして、関西に来た。かねがね母親が関西にいると聞いていた寅が、仲間に頼んで捜していたところ、偶然、坪内先生と一緒に買物をしているお嬢さんと出会った。やがて、母のいどころが判り、お嬢さんについて行ってもらった。ところがその母親は、寅の夢の中に出てくるやさしい母親と違い、厚化粧をし、三流どころの連れ込み宿を経営する女だった。カーッとなって怒鳴りつけた寅は、そのまま汽車に乗って去った。半月後、先生は他界し、寅が世話になった病院の藤村医師とお嬢さんの結婚を聞いた寅は、またも悲しみに打ちひしがれ、詑びるお嬢さんの言葉を胸に、登とともに柴叉を後にするのだった。 |
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3作 4作 |
男はつらいよ 第三作 1970年1月 『男はつらいよ・フーテンの寅』 | 男はつらいよ 第四作1970年2月 『新・男はつらいよ』 | |||||||||||||||||||||||||||
マドンナ:新珠三千代(旅館の女将 志津) 三重県(湯の山温泉)種子島 | マドンナ:栗原小巻 (幼稚園の先生 春子) 名古屋市 |
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あらすじ | あらすじ | ||||||||||||||||||||||||||||
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5作 6作 |
男はつらいよ 第五作1970年8月 『男はつらいよ 望郷篇』 | 男はつらいよ 第六作1971年1月 『男はつらいよ純情篇』 | |||||||||||||||||||||||||||
マドンナ:長山藍子(美容師 節子) 浦安市北海道(札幌市、小樽市) |
マドンナ:若尾文子 (主婦 夕子) 長崎県(長崎市、福江島)静岡県(浜名湖) |
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あらすじ | あらすじ | ||||||||||||||||||||||||||||
寅さんは旅先で、おいちゃんが病気で倒れる夢を見てそのことが気にかかり、故郷の葛飾・柴又に帰ってくる。おいちゃんの車竜造は、たまたま遊びに来た隣家の工場主の梅太郎の横で、暑さのために、グッタリして、横になっているが、これを見た寅さんは「やっばりあの夢はほんとうだった」と手まわしよろしく帝釈天の御前様はじめ近所の人や、葬儀屋まで集めてしまう。悪意がないとは知りながらも、生き仏にされてしまったおいちゃんの怒りは常にもまして激しく、一方心の底からおいちゃんのことを心配してやった行為がどうしてこんな結果を招いてしまったのか理解に苦しむ寅さんは口論の末、大喧嘩となってしまった。そこへ寅さんの舎弟登が、昔寅さんが世話になった札幌の竜岡親分が重病で、寅さんに逢いたがっていることを知らせに訪ねてくる。義理と人情を信条とする寅さんは、さっそく登を連れて札幌に向かった。病院についてみると、親分にはもう昔の華やかな面影はなく医療保護にすがって生きている今にも枯れはててしまいそうな老人と変っていた。身よりもなくたった一人の親分は寅さんの来道に涙を流して喜こんだ。そして寅さんを男と見こみ、最後の願いとして二十年前、旅館の女中に生ませた息子を探がしてくれるよう頼むのだった。二つ返事で引き受けた寅さんと登は息子探がしに奔走し、やっとの思いで居場所をつきとめたが、親分の息子澄雄から返ってくる返事は意外に冷めたかった。「二十年もほったらかしておいて今さら親子などと虫のいいことを言うな」という澄雄の言葉も考えてみれば当然のことであるが、義理、人情だけでは割り切れない人間心理の複雑さに寅さんは大きく動かされる。そして病院に帰ってみるとすでに親分は息を引きとり、ここでもやくざ渡世の末路のみじめさを思い知らされる。このことが原因で寅さんはやくざ稼業から足を洗うことを決意し、いやがる登を田舎に帰し再び柴又へ帰って来た。寅さんの突如の変貌ぶりにおいちゃんたちは目を丸くして驚ろくのだが、地道に、額に汗して働こうと、心に誓った寅さんは柴又とは目と鼻の先の浦安の町の豆腐屋「三七十屋」に住み込みで働くようになる。この店は、母親のとみと娘の節子の二人暮しだが、寅さんの働きぶりに二人ともすっかり感心し、次第に心を許すようになってくる。ところがいつの間にか寅さんの節子に対する片想いが始まりこの噂さはいつともなく浦安から柴又まで広がっていくが結局、節子の恋人木村の出現によって、寅さんは失恋してしまう。夢破れたあまりのいたたまれなさに耐えきれず江戸川の花火大会の夜、寅さんはひとり淋しく浦安を後にするのだった。 |
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7作 8作 |
男はつらいよ 第七作 1971年4月 『男はつらいよ奮闘篇』 | 男はつらいよ 第八作 1971年12月 『男はつらいよ寅次郎恋歌』 | |||||||||||||||||||||||||||
マドンナ:榊原るみ (知的障害を持つ少女花子)新潟県、沼津市、青森県弘前市 |
マドンナ:池内淳子(喫茶店経営 貴子) 岡山県(備中高梁) |
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あらすじ | あらすじ | ||||||||||||||||||||||||||||
春三月。残雪の越後を旅する車寅次郎は、集団就職のために別れを惜しむ少年とその家族を見て故郷を想い出してしまった。一方、柴又には、寅の生みの親菊が三十年振りで「とら屋」を訪れた。しばらくして菊は帰ったが、そこに寅が帰って来た。そして、さくらと一緒に菊を訪ね、再会した嬉びも束の間、寅の結婚話が元で喧嘩になってしまった。菊は、そんな寅に終始気を使うさくらに感謝しつつ京都へ帰った。寅もこのことが原因でまた柴又を去った。その旅で、寅は、津軽から紡績工場へ出かせぎに来ている、頭は弱いが純真で可愛い少女花子と知りあった。彼女は工場になじめず、故郷に帰りたいと寅に相談した。寅はなけなしの金をはたき、柴又を訪ねるよう住所を教えた。数日後、柴又に戻った寅は、津軽に帰らずおいちゃんの店で働いている花子を見てびっくりした。ある日、突然花子が寅さんのお嫁になりたいと言う。その気になった寅は、早速さくらに相談した。さくらは、おにいちゃんが幸せになれるならと賛成したが、おいちゃん、おばちゃんは、生れてくる子供のことを考えて猛反対である。そんな時、花子の身許引受人と名乗る福田先生が、突然紡績工場から行方不明になった花子を引き取りに来た。寅の不在中、花子は福田先生と共に津軽へ帰っていった。それから数日後、失意の寅は置手紙を残して柴又から消えた。さくらは、直感で津軽にとんだ。さくらの勘は当り、バスの中で偶然に寅と出会った。二人の目には涙が浮んでいた。窓の外には、まだうっすらと雪を残す津軽山脈の向こうに真赤な夕陽が沈もうとしていた。 出典:goo映画 |
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9作 10作 |
男はつらいよ 第九作 1972年8月 『男はつらいよ柴又慕情』 | 男はつらいよ 第十作 1972年12月 『男はつらいよ寅次郎夢枕』 | |||||||||||||||||||||||||||
マドンナ:吉永小百合 (OL 歌子) 金沢市、福井県(東尋坊) |
マドンナ:八千草薫(美容院経営千代) 山梨県(甲府市)長野県(奈良井) |
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あらすじ | あらすじ | ||||||||||||||||||||||||||||
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11作 12作 |
男はつらいよ 第十一作 1973年8月『男はつらいよ寅次郎忘れな草』 | 男はつらいよ 第十二作 1973年12月 『男はつらいよ私の寅さん』 | |||||||||||||||||||||||||||
マドンナ:浅丘ルリ子(旅回歌手 リリー) 北海道(網走) |
マドンナ:岸惠子 (画家 りつ子) 熊本県(天草、阿蘇)、大分県(別府) |
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あらすじ | あらすじ | ||||||||||||||||||||||||||||
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13作 14作 |
男はつらいよ 第十三作 1974年8月『男はつらいよ寅次郎恋やつれ』 | 男はつらいよ 第十四作 1974年12月『男はつらいよ寅次郎子守唄』 | |||||||||||||||||||||||||||
マドンナ:吉永小百合 (OL 歌子) 島根県(津和野、温泉津) |
マドンナ:十朱幸代(看護師 京子)佐賀(唐津市)、群馬(磯部温泉) |
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あらすじ | あらすじ | ||||||||||||||||||||||||||||
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秋も深まったある日、フーテンの寅こと車寅次郎は九州は唐津のおくんち祭りで稼いだ後、呼子港の木賃宿で風采のあがらない赤ん坊連れの男と偶然泊り合わせた。何か訳のありそうなこの男に同情した寅は、酒をおごって元気づけてやったのだが、翌朝、寅が目を覚ますと「この子をよろしくお願いします」という置き手紙を残して、男は消えた。驚いた寅は、乳飲み児を抱えて右往左往。弱りぬいた寅は、苦心惨たんして、妹のさくらやおいちゃん、おばちゃんのいる葛飾・柴又の“とらや”へ辿りついた。ところが、裏の工場の社長は、寅が子供をつくったと大騒ぎをするし、さくらは赤ん坊のおしめやミルクを用意するのに大忙し。やがて長旅の疲れから赤ん坊が熱を出したので、さくら夫婦は、博が工場で怪我をした時世話になった親切な看護婦のいる病院へ連れていった。その看護婦は京子といって、暖い笑顔が印象的な独身女性。翌日、寅が赤ん坊を見舞いに訪ねた時に、京子を見た途端一目惚れしてしまい、以来、赤ん坊の病気にかこつけては、病院通いするようになった。そんなある日、赤ん坊の父親と、彼と親しい踊子が赤ん坊を引き取りに来た。男は、赤ん坊の母親に逃げられ途方にくれている時に寅さんと会い、甘えついでについ赤ん坊を押しつけてしまった、と涙ながらに詫びるのだった。さて、赤ん坊がいなくなると、おいちゃんもおばちゃんも、あの児が寅の本当の子供だったら、などと溜息まじりに思うのだった。この事件をキッカケに、京子は“とらや”に時々立ち寄ることになり、寅の京子に対する想いは募るばかり。ある日、京子は彼女が参加している地域青年のコーラス・グループの練習にさくらを誘い、寅と源公も同行した。ところが、寅と源公が悪戯したために、練習はメチャクチャ、リーダーの大川弥太郎はカンカンに怒った。詫びを入れるために寅は弥太郎の下宿を訪ねると、二人は酒を呑みながらすぐ意気投合。そして弥太郎が寅に、京子に対する恋心を打ち明けると、寅は色々アドバイスをしてやる。酔っ払ったその足で、寅は弥太郎を“とらや”へ連れて来ると、丁度京子が遊びに来ていた。弥太郎はその場で、飾りたてない自分の真心を京子に告白した……翌日、晴々とした笑顔で、京子との婚約を報告しに来た弥太郎を送り出すと、寅は冬空の下、寂しく旅立って行くのだった。やがて正月。呼子の港に立ち寄った寅は、あの 時の赤ん坊が元気そうに暮しているのを見て、幸せな気分につつまれるのだった。 |
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15作 16作 |
男はつらいよ 第十五作 1975年8月『男はつらいよ寅次郎相合傘』 | 男はつらいよ 第十六作 1975年12月『男はつらいよ葛飾立志篇』 | |||||||||||||||||||||||||||
マドンナ:浅丘ルリ子 (旅回歌手 リリー)青森、函館、長万部、札幌、小樽 | マドンナ:樫山文枝 (大学考古学研究助手 礼子) 山形(寒河江市)、静岡県 | ||||||||||||||||||||||||||||
あらすじ | あらすじ | ||||||||||||||||||||||||||||
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秋も深まったある日の午後。数カ月ぶりに寅は“とらや”に帰って来た。ところが、そこには山形から修学旅行で上京したついでに寅を訪ねに来ていた高校2年の順子がいた。寅は彼女を見るなり、おもわず「お雪さん!」と叫び、順子は目に涙をいっばいため「お父さん!」と叫んだ。寅は勿論のこと、さくらや、おいちゃん、おばちゃんはビックリする。実は順子は寅が17年前に恋焦がれた人−−お雪の娘だったのだ。寅は毎年正月になると少しの金を添えて手紙を送っていたので、順子は、寅を本当の父親と勘違いしていたのだった。そのお雪がつい最近死んだ、と聞き、寅は歳月の流れをしみじみと感じた。とらやの人々がホッとしたのも束の間、「寅がまともに結婚していたらこの位の娘がいるのになあ」と愚痴るおいちゃんの言葉が原因で、怒った寅はまた旅に出てしまった。数日後、寅はお雪の墓詣りを兼ねて、山形を訪ねた。そこで寅は、寺の住職から、お雪の生前の不幸を聞かされた。彼女は学問がなかったために男に騙されたのだった。そして住職は、学問の必要な事を寅に教え、寅も晩学を決意した。一方、とらやには、御前様の親戚で大学の考古学教室に残り勉強を続けている筧礼子が下宿することになった。そんなところへ寅が帰って来た。明るく誰とでも気軽に口をきき、インテリぶらない礼子に、寅は次第に惹かれていき、勉強の方も彼女に教えてもらいながら真面目につづけた。また、礼子の恩師である、奇人だが天才肌の田所博士をも寅はすっかり気に入ってしまった。そんな寅がまた礼子に振られてしまうと心配したさくらだったが、寅は「礼子さんに色恋を感じたら失礼だ。彼女はもっと高い事を考えてる人で、結婚なんかするはずがない」と答えた。ところがある日、礼子は田所にプロポーズされた。礼子は何日も何日も思い悩んだ。そして、結婚の事で悩んでいる、と礼子の口から聞かされた寅は、相手が誰だか知らずに、大変なショックを受けた。礼子を恋愛の対象にするのは失礼だ、とは言ったもののやはり、彼女を愛していたのだった。寅は、またまた失恋、一人、旅に出た。だが、その頃、礼子は学問に専心するために、田所のプロポーズを断っていた……。正月も間近の南国。寅と、寅と同じように礼子に失恋して旅に出ていた田所が、楽しそうに歩く姿があった。 |
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17作 18作 |
第十七作 1976年7月 『男はつらいよ寅次郎夕焼け小焼け』 | 第十八作 1976年12月 『男はつらいよ寅次郎純情詩集』 | |||||||||||||||||||||||||||
マドンナ:太地喜和子(芸者 ぼたん) 兵庫県(龍野市) |
マドンナ:京マチ子(未亡人 綾) 長野県(別所温泉)、新潟県(六日町) | ||||||||||||||||||||||||||||
あらすじ | あらすじ | ||||||||||||||||||||||||||||
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出典:goo映画 |
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19作 20作 |
第十九作 1977年8月 『男はつらいよ寅次郎と殿様』 | 第二十作 1977年12月 『男はつらいよ寅次郎頑張れ!』 | |||||||||||||||||||||||||||
マドンナ:真野響子 (運送会社勤務 鞠子) 愛媛県(大洲市) |
マドンナ:藤村志保 (土産物屋経営 藤子) 長崎県(平戸島) |
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あらすじ | あらすじ | ||||||||||||||||||||||||||||
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出典:goo映画 |
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21作 22作 |
第二十一作 1978年8月 『男はつらいよ寅次郎わが道をゆく』 | 第二十二作 1978年12月 『男はつらいよ噂の寅次郎』 | |||||||||||||||||||||||||||
マドンナ:木の実ナナ(歌劇団のスター 奈々子) 熊本(田の原温泉) |
マドンナ:大原麗子(団子屋手伝い 早苗) 長野(木曽福島)、静岡(大井川) |
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あらすじ | あらすじ | ||||||||||||||||||||||||||||
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23作 24作 |
第二十三作 1979年8月 『男はつらいよ翔んでる寅次郎』 | 第二十四作 1979年12月 『男はつらいよ寅次郎春の夢』 | |||||||||||||||||||||||||||
マドンナ:桃井かおり(お嬢様 ひとみ) 北海道(支笏湖) |
マドンナ:香川京子 (翻訳業 圭子) 和歌山、京都、アメリカ(アリゾナ州) |
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あらすじ | あらすじ | ||||||||||||||||||||||||||||
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25作 26作 |
第二十五作 1980年8月『男はつらいよ寅次郎ハイビスカスの花』 | 第二十六作 1980年12月 『男はつらいよ寅次郎かもめ歌』 | |||||||||||||||||||||||||||
マドンナ:浅丘ルリ子 (旅回歌手 リリー) 沖縄県、長野(軽井沢) |
マドンナ:伊藤蘭 (女子工員 すみれ) 北海道(奥尻島・江差町)、徳島県 |
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あらすじ | あらすじ | ||||||||||||||||||||||||||||
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27作 28作 |
第二十七作 1981年8月 『男はつらいよ浪花の恋の寅次郎』 | 第二十八作 1981年12月 『男はつらいよ寅次郎紙風船』 | |||||||||||||||||||||||||||
マドンナ:松坂慶子(芸者 ふみ) 大阪府、瀬戸内、対馬 |
マドンナ:音無美紀子(テキヤ仲間の妻 光枝) 福岡、大分、静岡(焼津市) |
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あらすじ | あらすじ | ||||||||||||||||||||||||||||
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29作 30作 |
第二十九作 1982年8月 『男はつらいよ寅次郎あじさいの恋』 | 第三十作 1982年12月 『男はつらいよ花も嵐も寅次郎』 | |||||||||||||||||||||||||||
マドンナ:いしだあゆみ(家政婦かがり)京都、伊根、信濃大町、鎌倉、彦根 |
マドンナ:田中裕子 (デパート勤務 蛍子)大分(湯平温泉、鉄輪温泉、湯布院) |
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あらすじ | あらすじ | ||||||||||||||||||||||||||||
葵祭でにぎわう京都、加茂川べりで休んでいた寅次郎は、ひとりの老人と知り合った。孤独な感じの老人に寅次郎は声をかけ慰め、それがうれしかったらしく先斗町の茶屋に寅次郎を誘った。老人は加納という有名な陶芸家だった。酒に酔い、翌朝、寅次郎は加納の家で目がさめ、その立派さにびっくりしてしまう。そして加納家のお手伝い・かがりと会う。かがりは丹後の生まれで、夫は五年前に病死、故郷に娘を置いてきていることを知った。加納は弟子の蒲原とかがりが夫婦になることを望んだが、蒲原は他の女性と結婚するといい、それを聞いたかがりは丹後へ帰ってしまった。旅に出た寅次郎、足がむいたのは丹後。かがりは思いのほか元気だった。その夜、偶然二人きりになってしまい、まんじりともしない一夜を過ごした。そのことを気にしつつ、東京に帰った寅次郎。再び旅に出ようとした矢先、かがりがとらやを訪ねて来た。帰りぎわに鎌倉の紫陽花で有名な寺で待っているという手紙をにぎらされた。当日になると一人では心細いと、甥の満男を一緒に連れて出かけた。満男を同行した寅次郎をみて、かがりの表情には落胆の色が浮かんだ。鎌倉から江の島への間、かがりは胸のうちを寅次郎にぶちまけるチャンスもなく、そのまま丹後に帰ってしまった。かがりの心を知りながらそれに応えられない哀しさを酒でまぎらわそうとした。かがりは本当は寅次郎が好きだったのでは、と言うさくらに、あんな美人で賢い人が俺のようなヤクザを思うわけがないといってとらやを後に旅立っていった。数日後、さくらのもとにかがりから故郷で元気に働いているとの便りが来た。そのころ信州の古い宿場で寅次郎は瀬戸物を売っていた。加納の名をかたっている寅次郎の前にひょっこり姿をあらわしたのが寅次郎のさすらいの生活にひかれて旅に出た加納だった。フーテンの寅さんと人間国宝・加納の屈託のない声が信州の山々にこだましていた。 出典:goo映画 |
大分は湯平温泉でバイをする寅は、馴染みの湯平荘に宿をとった。夜、寅と宿の親父、勝三が酒を飲んでいると、そこへ、ひとりの青年が現れた。三郎というその青年は、かつて、この宿で女中をしていた女性の息子で、その母がひと月ほど前に病死し、遺骨を埋めにこの地にやって来たという。勝三は美しい三郎の母親を覚えており、彼の親孝行に感心した寅は、さっそく昔の知り合いを集め、供養をしてやる。同じ宿に泊り合わせていた、東京のデパートに勤めている旅行中の螢子とゆかりという二人の娘も、寅はその席に座らせてしまう。翌日、二人の娘と見物をしていた寅は、車で東京に帰ろうとしていた三郎と出会い、その日は四人でドライブをすることになった。そして夜、二人の娘と別れるときになって、三郎は螢子に付き合って欲しいと言う。突然のことで、螢子はとまどうようにフェリーに乗り込んだ。車で東京に帰った寅と三郎はヘ卜ヘトになって柴又に辿り着く。とらやの家族の団らんは、母と二人で育った三郎にはとてもうらやましく思えた。そして、三郎は自分の思いを螢子に伝えてほしいと寅に頼んで帰っていった。一方、螢子も、寅との楽しい会話が忘れられず、とらやを訪ねた。その日、寅は留守だったが、数日後、二人は一緒に酒を飲んだ。寅は三郎の気持ちを螢子に伝える。親のすすめる見合いを断った螢子だが、三郎は二枚目すぎると乗り気ではない。寅の報告にガックリする三郎。そこで寅は、螢子をとらやに招待し、彼女には知らせずに三郎も呼んだ。ぎこちない二人だが、その日からデートをするようになった。その頃、螢子の両親は、見合の相手の家族が螢子の素行を興信所で調べてもらった結果、彼女が特定の男性と交際していると教えられていた。螢子は両親に、その男性について問いつめられ、涙をためてとらやに向った。螢子は寅に「動物園の飼育係をする三郎は、チンパンジーのことしか話さず、大事なことにふれようとしない」と話す。螢子は三郎が好きだが彼の煮えきらない態度に、今後の関係に迷っていた。寅はそんな螢子に、好きだから余計に、思っていることが言えないんだと説得する。さくらにも励まされ、螢子は、とらやの帰路、三郎の本心を聞こうと決意、彼の勤め先を訪ねた。話があるという螢子に、三郎も話したいことがあると、観覧車に誘った。まず三郎が「チンパンジーがなつかなくなった。愛情がなくなったことを感じるのだろうが、それは君と知り合ってからだ……、結婚してほしい」と話した。もう螢子は何も話すことはなかった。結婚することを決めたという螢子の電話を聞くと、寅は、これからやって来るという二人は待たずに旅に出るのだった。 |
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31作 32作 |
第三十一作 1983年8月 『男はつらいよ旅と女と寅次郎』 | 第三十二作 1983年12月 『男はつらいよ口笛を吹く寅次郎』 | |||||||||||||||||||||||||||
マドンナ:都はるみ (超大物演歌歌手 はるみ) 佐渡、新潟、北海道(支笏湖) | マドンナ:竹下景子 (寺の娘 朋子) 岡山(備中高梁)、広島(因島) |
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あらすじ | あらすじ | ||||||||||||||||||||||||||||
久しぶりにとらやに戻った車寅次郎は、甥の満男の運動会のことでとらやの面々と言い争いをし、またふらりと旅に出た。寅次郎がやって来たのは新潟の田舎町で、佐渡ヶ島へ向う途中一人の女性と出会う。彼女は演歌の女王、京はるみであった。それとは気づかぬ寅次郎は、毎度御馴染みの一目惚れで気に入ってしまう。その頃、はるみのプロダクションでは彼女の失踪で大騒ぎとなっていた。当のはるみは、そんな騒動は知らず寅次郎と意気投合し、二人で旅をしている。一人旅の毎日であった寅次郎にとって、女性が道連れという事は夢の様な話であり、はるみにとっても、これ程、自由で楽しい旅が出来るのは素晴らしいことだった。ある日、寅次郎は、はるみがかの演歌の女王、京はるみであることを知る。そこにプロダクションの者たちがやって来、はるみは思い出にと寅次郎に指輪を渡し二人は別れた。寅次郎はとらやに帰って来たものの、放心状態でいつもの元気がまるで無い。そんな時、はるみがとらやに寅次郎を訪ねて来た。とらやは大騒ぎとなり周囲は黒山の人だかりとなる。はるみは寅次郎に今度行うリサイタルの招待券を渡し、失恋した相手ともう一度やり直すことになったと告げた。ガックリと肩を落とす寅次郎。集った人々の要望ではるみは歌い出した。その日の夜、寅次郎は妹のさくらに、はるみから貰ったリサイタルの切符を渡し旅に出る。そして、京はるみショーの行なわれている頃、寅次郎は北海道で夏を過ごしていた。 |
車寅次郎がふらりとやってきたのは義弟の博の生家がある備中高梁。今年は博の亡父の三回忌にあたり、その墓参りを思いついて訪れたのである。そこで寺の和尚と娘の朋子に出会った寅次郎はお茶に呼ばれ、すすめられるままに酒へと座は盛り上がりすっかり和尚と意気投合。朋子の弟・一道は仏教大学に在籍しているものの写真家になりたいといって父と対立していた。翌日、帰ろうとした寅次郎は朋子が出戻りだということを知る。そこに法事の迎えがやって来て、二日酔の和尚に代って買って出た寅次郎は、名調子の弁舌がすっかり檀家の人たちに気に入られてしまい、寺に居つくハメになった。数日後、博、さくら、満男の親子三人が三回忌の法事で寺にやってきた。そして、介添の僧の姿をした寅次郎を見て度胆を抜かれる。ある日、大学をやめて東京の写真スタジオで働くという一道を和尚は勘当同然に追い出した。一道には病弱な父を支えて酒屋を切り盛りしているひろみという恋人がいた。ある夜、和尚と朋子の「寅を養子に貰うか」という会話を耳にした寅次郎は、翌朝、書きおきを残して東京に発った。とらやに戻った寅次郎は、一同に余生を仏につかえることを告げ、帝釈天での押しかけ修業が始まった。ある日、とらやに一道とひろみが訪ねてきた。お店の休みを利用して上京してきたひろみを泊めてほしいとのことだった。結局、二人共二階の寅次郎の部屋に泊まり、数日後、朋子がそのお礼に訪ねてきた。寅次郎は嬉しいのだが、そわそわしてゆっくり話そうともしない。そうしているうちに朋子の帰る時間がやってきた。朋子は見送りに来た寅次郎にそれとなく好意を伝えるが、寅次郎は冗談としてうけとりはぐらかす。朋子は悲しげに去っていた。そして寅次郎は、又、旅に出るのであった。 |
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33作 34作 |
第三十三作 1984年8月 『男はつらいよ夜霧にむせぶ寅次郎』 | 第三十四作 1984年12月 『男はつらいよ 寅次郎真実一路』 | |||||||||||||||||||||||||||
マドンナ:中原理恵(フーテンの理容師 風子)盛岡、釧路、根室、中標津 | マドンナ:大原麗子 (主婦 ふじ子) 鹿児島(枕崎・指宿)、茨城(牛久沼) |
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あらすじ | あらすじ | ||||||||||||||||||||||||||||
盛岡から満男の中学入学祝が送られて来た。寅次郎からである。彼は、盛岡で昔の舎弟分・登にめぐり逢った。登は堅気になり世帯を持って小さな食堂の主になっていた。寅次郎は精一杯、自分を歓待しようとする登の手を振り切って北海道へ渡った。釧路で寅次郎はフーテンの風子こと木暮風子と知り合い、意気投合する。風子は理容師の免状を持っていて、床屋に勤めるのだがどこでも長続きしない。その夜、寅次郎と風子は、女房に逃げられたという福田栄作と相部屋になった縁で、彼の女房探しを手助けする羽目になる。霧多布まで寅次郎と風子は栄作に付添って行ったが、新しい夫との生活に安住する妻の姿に声もかけられず去る。栄作と別れた二人は、風子の伯母の住む根室へ。祭りに賑わう常盤公園の見世物小屋にオートバイショウがかかっている。一座の花形トニーはオートバイを巧みに乗りこなし、目にとまった風子を小屋に誘った。伯父の世話で風子の就職が決まった。寅の旅立ちの日が迫り、風子は寅次郎と一緒に勝手気侭な旅をしたいと言い出した。寅次郎は、そんな風子を可愛いと思うが、心を鬼にして伯母のいるこの根室で真面目に働いて、いい男を見つけて世帯を持てと分別を説く。別れの日、風子は「寅さんがもう少し若かったら、私、寅さんと結婚するのに」と告げた。タコ社長の娘あけみの結婚式が行なわれた日の午後、寅次郎が“とらや”へ帰ってきた。丁度、栄作が訪ねて来ていた。彼は東京で風子に会い、借金を申し込まれ断ったという。寅次郎は怒って栄作を罵倒し追い返してしまう。しかし、風子の居所が分らないので、新聞の尋ね人欄に広告を出した。そんなとき、トニーが風子が寝込んでしまい、寅次郎に会いたいという言伝てを持ってきた。寅次郎は風子を博の運転する車に乗せ“とらや”に連れ帰った。数日後、風子は元気を取り戻し、寅次郎はトニーを呼び出して風子と別れることを約束させた。だが、風子がトニーに会いに行くというのを寅次郎が止めたことから、風子は“とらや”を飛び出してしまった。夏の盛り、風子からさくらに手紙が来た。根室に帰った彼女は、伯母の気に入った真面目な男と結婚することになったという。さくら、博、満は結婚式に出席するため北海道・中標津へ向った。そして、北海道を旅する寅次郎からも、式に間に合うよう山越えして行くとの電話が入った。 |
秋のある日、とらやでは一騒動が持ち上がっていた。裏のタコ社長の娘・あけみが、夕食のおかずのことで夫婦ゲンカして実家へ舞い戻ってきたのだ。そんな騒ぎの中、旅から寅次郎が戻ってき、たらまちタコ社長といつもの大ゲンカになってしまう。とらやを飛び出した寅次郎は、上野近くの焼き鳥屋へ行き、そこで知り合った富永健吉にごちそうになる。富永は証券会社に勤めるサラリーマンだった。ごちそうになりっぱなしじゃ申し訳ないと、後日、寅次郎は彼の会社を訪ねた。その晩も二人は例の焼き鳥屋で一杯飲んで、すっかり意気投合。酔った寅次郎は茨城県牛久沼の健吉の家にやっかいになる。翌日、彼が目を覚ました時は、もうすっかり日が高くなっていた。寅次郎が壁にかかった北原白秋の色紙をボンヤリ眺めていると、後ろで健吉の妻・ふじ子の声がし、その清楚な美しさに、彼は見惚れてしまった。健吉は七時半から会議だといって、朝六時に出て行ったという。数日後、寅次郎は再び牛久沼を訪ねた。が、ふじ子の様子がおかしい。健吉が先週の金曜に家を出たっきり帰ってこないと言うのだ。何かあったらすぐ連絡しろよと言い残し、寅次郎は牛久沼を後にした。とらやに戻った寅次郎は、占いで健吉が北海道にいると出たから、探しに行くためにお金を借してくれとまた騒動を起こす。ふじ子が息子の隆を連れてとらやを訪ねて来た。二人を慰めようとする寅次郎の考えだった。とらやの人々に囲まれて、久しぶりにふじ子に笑顔が戻った。ふじ子と隆を送って行く道すがら、これからも相談相手になってほしいと言われた寅次郎は、有頂天になり、頼もしげにうなずくのだった。ある日、健吉を彼の故郷・鹿児島で見た、と耳にしたふじ子は東京を発った。それを知った寅次郎も後を追う。二人は健吉の行きそうな所をあたるが、見つけることはできなかった。柴又に戻った寅次郎は、ふじ子に恋をしている自分に気づき思い悩んでいた。もし健吉が戻らなければ、ふじ子と夫婦になれるかもとまで考え、自分の醜さに耐えきれず旅に出る決心をする。そこに不精ヒゲをはやした健吉が現れた。寅次郎は彼を叱咤し、牛久沼に連れて行く。そして、いつ帰るとも知れない旅に出た。 |
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35作 36作 |
第三十五作 1985年8月 『男はつらいよ寅次郎恋愛塾』 | 第三十六作 1985年12月 『男はつらいよ柴又より愛をこめて』 | |||||||||||||||||||||||||||
マドンナ:樋口可南子 (写植オペレーター 若菜)長崎(上五島)、天草、秋田 |
マドンナ:栗原小巻(小学校の先生 真知子)下田、式根島、浜名湖、会津若松 |
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あらすじ | あらすじ | ||||||||||||||||||||||||||||
九州、長崎の五島列島に寅次郎は、仲間のポン州とやって来た。二人はケガをした老婆、江上ハマを助けたことから、その晩一宿のもてなしを受けることになった。ひとり暮らしのハマの部屋で、寅とポン州はドンチャン騒ぎ。だが、真夜中にハマの様子がおかしくなり、息を引きとってしまう。讃美歌流れる葬儀の日、ハマのたったひとりの孫娘、若菜が東京から飛んで来た。数日後、寅が柴又の“とらや”へ帰って来た。そして、さくらから一通のハガキを渡されると、気もそぞろに店を出て行ってしまう。ハガキは若菜からの礼状であった。宛名を便りに若菜のアパートに向かった寅は、彼女と再会。若菜が失業してしまったことを聞き、“とらや”へ戻ると、早速さくら、博、社長らに就職の世話を頼む。ある日、寅は、若菜の留守にアパートを訪れ、そこで民夫という青年と出会った。彼は書物にうもれながら司法試験合格をめざして勉強するまじめ一点ばりの男であった。だが隣に住む若菜に激しい恋心を抱いていたから、寅のような男が若菜の部屋へ出入りするのを見るにつけ、心中穏やかではない。民夫の口調から若菜に惚れていることを察知した寅は、諦めろと愉すのだった。若菜が“とらや”へやって来た。博の世話で就職も決まった。帰り道、若菜からも民夫にほのかな愛情を抱いていることを告げられた寅は、心中複雑ながらも二人の恋の橋渡しをしようと決める。寅は民夫を呼び出し、恋の手ほどきをする。二人のデートの日、民夫はここぞという時に、前夜の寝不足も手伝って、つい飲みすぎて眠ってしまう。翌日、寅の留守に悄然とした表情で民夫が「長い間お世話になりました」と、“とらや”を訪ねて来た。同じ頃、若菜も民夫の置き手紙を手にしていた。また、担当の大学教授、牛山も民夫が田舎に帰るという電話を受けていた。寅、若菜、牛山は民夫の故郷へと向かった。自殺でもしないかと心配していた彼らは、元気な民夫の姿を見て、安心するとともに怒りだす。夏になり“とらや”に民夫から手紙が届いた。司法試験を諦め、若菜と結婚して中学の教師になるという。 | かねてから結婚生活に不満をこぼしていた社長の娘あけみが家出した。思いあまった社長は、テレビの尋ね人コーナーに出演するが、本番で泣き出してしまい醜態を晒す始末。伊豆下田あたりでテレビを見ていたあけみからとらやに電話がかかる。彼女は「私は元気よ、それより寅さんに会いたいな」と言ってきた。そんな時、寅次郎がとらやに戻って来た。彼はあけみを連れ戻すべく、下田へと旅に出る。寅次郎は飲み屋街で、さくらと名乗って働いているあけみを見つけた。だが、あけみは家には帰りたくないと彼を困らせる。そして、あけみの希望で式根島に行くことになった。船の中で二人は、島の小学校の同窓会に帰るという一行と知り合う。島に着くと、彼らの教師だった真知子が笑顔で迎えた。美人の真知子に、寅次郎の頭からはあけみの存在など吹き飛んでいた。しかも、真知子が東京の下町育ちと聞いて、彼のはしゃぎぶりは手がつけられない有様となった。一方、あけみは知り合った純情な青年、茂にプロポーズされ、柴又へ帰る決心をした。あけみに脅迫された寅次郎も、泣く泣く島を出ることを承知する。しばらくして、真知子がとらやを訪ねて来た。父親の見舞いのため、一日休みをとったというのだ。彼女は死んだ親友の娘、千秋と会い誕生日のお祝いをする。そして、千秋の父親、文人から突然プロポーズされた。真知子は島に帰る日、そのことを寅次郎に相談した。話を聞いて元気を失くした彼は急に旅に出ることにする。正月、ある町で商売する寅次郎の姿があった。 出典:goo映画 |
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37作 38作 |
第三十七作 1985年12月 『男はつらいよ幸福の青い鳥』 | 第三十八作 1985年8月 『男はつらいよ知床慕情』 | |||||||||||||||||||||||||||
マドンナ:志穂美悦子(旅館のコンパニオン 美保)福岡(筑豊)、萩(山口県) |
マドンナ:竹下景子(獣医の娘 りん子) 北海道(斜里町) |
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あらすじ | あらすじ | ||||||||||||||||||||||||||||
柴又、とらやでは不景気な話題とともに、1年も音沙汰のない寅が噂にのぼっていた。その頃、寅はバイ仲間のポンシュウと山口県萩をあとにして、九州へと向かっていた。飯塚の町で、寅はひいきにしていた一座の座長の訃報の家には旅館の女中をしている娘、美保がいた。寅の脳裏に可愛い声で歌っていた美保の姿が浮かぶ。「幸福の青い鳥が欲しい」という美保に、「東京に出て来たら葛飾柴又帝釈天参道のとらやを訪ねな」と告げ、寅は汽車に乗った。とらやに、近々戻りますと寅から葉書が届いた頃、東京下町の食堂で、疲れた表情の美保が公衆電話の受話器を置きぼんやりしていた。東京に出てとらやに電話したものの、寅の不在に気落ちして熱を出した美保を、看板屋で働いている倉田健吾という青年がやさしく介抱した。元気になった美保は、とらやを訪ねて寅と再会。寅の口利きでラーメン屋に就職することになった。寅は今度は美保に花婿を見つけてやりたいと、とらやの面々に語る。だが、一同が思うには美保に惚れてるらしい。美保は展覧会に落選してがっかりしている健吾を訪ねた。ヤケをおこした彼は美保を抱こうとするが、彼女は振りきって外に飛び出した。健吾は美保を探しに柴又を訪れ、寅の手引きで美保と会う。そして、先日のことを謝り出て行った。健吾を追う美保をぼんやり見送る寅。新しい年が明け、美保は健吾と婚約した。その頃、山間の温泉場で商売に励む寅の姿があった。 出典:goo映画 |
久しぶりに寅次郎が帰ってきたというのに、“とらや”は竜造が入院のため休業中。翌日から店を開けるというつねに、寅次郎は手伝いを買って出るが勤まる訳がない。またまた口論の末、飛び出した。北海道の知床にやって来た寅次郎は、武骨な獣医・上野順吉が運転するポンコツのライトバンに乗ったのが縁で彼の家に泊ることになる。順吉はやもめ暮らしで、この町のスナック“はまなす”のママ・悦子が洗濯物などの世話をやいていた。“はまなす”は知床に住む気の良い男たちのたまり場で、常連は船長、マコト、文男、それにホテルの経営者の通称“二代目”たち。そこに寅次郎が加わって宴はいっそう賑いだ。そんなある日、順吉の娘・りん子が戻って来た。駆け落ちして東京で暮らしていたが、結婚生活に破れて傷心で里帰りしたのだ。寅次郎たちは暖かく迎えたが、父親の順吉だけが冷たい言葉を投げつける。身辺の整理のため、東京に一度戻ったりん子は寅次郎からの土産を届けにとらやを訪れ、さくらたちから歓待を受けた。とらやの面々はまた、寅の病気が始まったと想うのだった。東京から戻ったりん子も囲んで、“知床の自然を守る会”と称するバーベキュー・パーティが広々とした岸辺で開かれた。そこで一同は悦子が店をたたんで故郷に帰る決心であることを知らされた。順吉が突然意義を唱え、寅次郎は「勇気を出して理由を言え」とたきつける。順吉は端ぐように「俺が惚れてるからだ」と言い放った。悦子の目にみるみる涙が溢れる。船長が「知床旅情」を歌い出し全員が合唱した。寅次郎はりん子に手を握られているのに気づき身を固くした。その晩“はまなす”では宴会が開かれ、順吉と悦子は結婚することになった。翌朝、寅次郎が別れも告げずに旅立ってしまったことを知り驚くりん子。船長がりん子に惚れてるんじゃないかとからかったためだった。東京に戻り職をみつけたりん子はとらやを訪れる。その頃、寅次郎は岐阜で初秋を迎えていた。 |
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39作 40作 |
第三十九作 1987年12月 『男はつらいよ寅次郎物語』 | 第四十作 1988年12月 『男はつらいよ寅次郎サラダ記念日』 | |||||||||||||||||||||||||||
マドンナ:秋吉久美子(美容部員 隆子)奈良、和歌山、三重志摩、伊勢二見町 | マドンナ:三田佳子 (女医 真知子) 長野(小諸、松本)、長崎(島原) | ||||||||||||||||||||||||||||
あらすじ | あらすじ | ||||||||||||||||||||||||||||
秋晴れの昼さがり「とらや」を秀吉という男の子が訪ねて来た。秀吉は寅次郎の香具師仲間“般若の政”とふでの子供だった。しかし政は女・酒・賭博に溺れたあげく、ふでに蒸発された。それからの政は秀吉を連れて放浪の生活を送っていたが、病に冒されこの世を去ってしまった。「俺が死んだら寅を頼れ」という遺言に従い、秀吉は郡山から柴又へやって来たのだ。事情を聞いて「とらや」の皆はびっくりするが、間もなく寅が帰ってきた。寅と秀吉の母親捜しの旅が始まった。大阪の天王寺では誘拐犯と間違えられて派出所に連行されたりしたが、おふでさんが新和歌浦のホテルで働いていることをつきとめた。しかし、訪ねるとそこにはおらず吉野に移ったという。寅は元気のない秀吉を励まし、吉野へ行くがそこにもふではいなかった。その晩、秀吉は旅の疲れから高熱を出し、旅館で寝込んでしまった。子供を扱い慣れない寅次郎は大あわてだが、たまたま隣室にいた高井隆子という女性が看病を手伝ってくれた。医者も往診に来て、翌朝、熱は下がり秀吉は元気になった。その日、3人は仲睦まじく近くの観光名所などをめぐった。寅は隆子に不思議な縁を感じた。旅館の主人の勘違いもあって2人はこの数日、「とうさん」「かあさん」と呼び合っていたのだ。隆子は化粧品のセールスマンとして働いていたが、美貌のわりには幸福とはいえない女だった。隆子と別れ、寅と秀吉の旅は続いた。吉野からふでが働いているという伊勢・志摩へやって来た。連絡船を降り、目当ての真珠店へ行くとふではいたが、病気のため海岸の病院で療養中とのことだった。久しぶりに対面する母と子を見て、寅はホッとするのだった。寅は引きとめられたが、秀吉が自分に未練をもってはいけないと連絡船の乗り場へと急いだ。そして心を鬼にして「おじさんと一緒に柴又へ帰りたい」という秀吉を叱るのだった。正月に隆子が「とらや」を訪ねてきた。秀吉をはさんで「とうさん」「かあさん」と呼び合っていた当時のエピソードで皆、盛り上がっている。ふでからは「秀吉と2人で幸せに暮らしています」と年賀状がきていた。年が明けて寅次郎は二見が浦で、露店を開いていた。仲間のポンシュウと雑談している寅の前をふでと秀吉と連絡船の船長が仲睦まじく歩いていた。 |
初秋の信州、寅は中込キクエという老婆の家で一晩世話になった。翌朝、原田真知子という美しい女医が迎えにきた。老婆は体が悪く、寅の説得もあって入院することになった。寅は真知子の家で彼女の姪・由紀と共に夕食をご馳走になった。由紀は早稲田の学生で短歌を趣味にしていた。寅は真知子に一目惚れ、真知子も寅に好意をもったが、夕食が終わると帰って行った。東京に戻った寅は真知子を忘れられずに早大へ由紀を訪ねた。教室に紛れ込んだ寅は由紀と再会するが、たまたま真知子も東京に遊びに来ているという。数日後、真知子は由紀を連れて「とらや」を訪ねてきた。さくらやおばちゃんが暖かく迎えてくれ、寅も真知子も楽しい一日を過ごした。しばらくして由紀から連絡が入った。信州のお婆ちゃんが危篤だという。寅はすぐ車で信州に向かった。残念ながら寅は臨終には間に合わなかった。病院をやめたいという真知子を励まし、寅は由紀にそっと別れを告げたのだった。 出典:goo映画 |
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41作 42作 |
第四十一作 1989年8月 『男はつらいよ寅次郎心の旅路』 | 第四十二作 1989年12月 『男はつらいよぼくの伯父さん』 | |||||||||||||||||||||||||||
マドンナ:竹下景子(ウィーンのガイド 久美子) ウィーン、松島、石川県 |
マドンナ:檀ふみ(泉の叔母 寿子) 佐賀、古湯温泉、吉野ヶ里、茨城袋田 |
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あらすじ | あらすじ | ||||||||||||||||||||||||||||
寅次郎はみちのくの旅の途中、自殺を図ろうとしたサラリーマンを助けた。坂口は寅と旅を続けたいので、お礼にウィーンへ連れていくという。さくらたちの反対で一時は止めようと決心するが、坂口の説得で結局は行くはめになった。ウィーンに着いた二人だが、趣味が合わず別行動。坂口は美術館を見学し、一方、寅は公園をぶらぶらしているうちにホテルへ帰れなくなり、偶然に知り合った江上久美子という美人の日本人ツアーコンダクター率いる一団についていってしまった。ホテルの名前を思い出せない寅に困って、ウィーンでの生活の長い年輩のマダムと呼ばれる日本人女性に助けを求めた。坂口は寅がホテルに戻ると一人で舞踏会へ出かけていき、そこでウィーンの美女とダンスを踊った。一方寅は久美子の休日に二人でドナウ川の辺に出かけた。久美子は故郷を思い出し日本に帰る決心をするが、ウィーンにはヘイマンという恋人がいた。彼は理解を示してくれて久美子は寅と坂口と共に帰国することになったが、いよいよ空港を出発という時ヘイマンがやって来て久美子を引き止めた。寅はウィーンから帰ってからは放心状態。何も土産話をしてくれなかったが、久美子からの絵はがきと坂口の写真で、また失恋したことがバレてしまったのだった。 | 寅次郎の甥・満男は浪人中の身であり人生に悩んでいた。そんな時、寅が柴又に帰ってきた。息子の悩みに応えきれないさくらは、寅に満男の悩みを聞いてくれと頼む。気軽に引きうけ、さっそく近くの飲み屋に満男を連れていき、そこで高校時代の後輩で佐賀へ転校してしまった泉という少女に恋していることを聞かされる。その夜満男のことで博と大ゲンカした寅はいつものごとくプイッと飛び出してしまう。一方満男は日に日に大きくなる恋と進学の悩みに遂に親子ゲンカ、そしてバイクに乗って泉のいる佐賀へと向かっていった。そこで偶然寅と再会した満男はさっそく二人で泉の家へ訪れていった。泉とも再会し、楽しい毎日を送る寅と満男だったが、泉の伯父とケンカした満男は柴又へと帰ってしまう。そして、寅も後を追うようにまた旅立っていった。年が明け、今だに泉のことが心残りな満男だったが、ある日家に帰ってみると泉が満男に会いに来ていたのだった。 |
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43作 44作 |
第四十三作 1990年12月 『男はつらいよ寅次郎の休日』 | 第四十四作 1991年12月 『男はつらいよ寅次郎の告白』 | |||||||||||||||||||||||||||
マドンナ:後藤久美子 (高校生 泉) 大分県(日田市)、名古屋市 |
マドンナ:吉田日出子(料理屋の女将聖子) 鳥取、岐阜(奥恵那峡・蛭川) |
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あらすじ |
あらすじ |
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ついに大学に入った満男はパッとしない毎日を過ごしていたが、そんなある日、名古屋に住む一年前の初恋の相手・泉がやって来る。泉は両親の別居という不自然な生活に耐えられず、愛人と同居しているという父・一男を説得しに来たのだった。そんな泉の切実な思いに動かされたさくらたちは泉を父親探しの旅に送り出すが、東京駅まで見送った満男も一緒に九州まで行ってしまう。そんな満男の家出にオロオロしてしまうさくらに旅から帰って来た寅次郎は「いつまでも子供扱いするから一人前になれないんだ」と説教するが、泉の母・礼子がくるまやに現れたことによって寅次郎は「高校生とはいっても子供同然です。すぐ探しに行きましょう」と、引き留めるさくらたちを振り切って礼子と二人出て行ってしまう。その頃、一男を探し当てて相手の女性・幸枝に会った泉は、静かで慎ましい彼女を見て一男はもう二度と戻ってこないと確信し、満男は淋しそうな泉を慰めるのだった。一方、二人を追って駆けつけた寅次郎と礼子はその夜、四人で宿に泊まって家族のような楽しい一時を過ごすが、翌朝礼子と泉は置き手紙を残して去ってしまうのだった。そして年が明け、またいつもの生活に戻った満男の前に泉が姿を見せるのだった。 |
寅次郎の甥・満男が想いを寄せる泉が東京の大手楽器店に就職のための面接に再び上京。それと同時に寅次郎も、柴又へ帰って来た。久しぶりに皆で楽しい一時を送る泉。翌日、泉の会社訪問に付き添う満男だったが、結局、就職はうまくいかないまま泉は静岡に帰ってしまう。また寅次郎も再び旅に出、日本海沿岸の鳥取へと向かった。ところがそこで偶然泉と再会する寅次郎。母親の再婚を素直に喜べない泉は、その寂しさを紛らすために鳥取まで来たのだった。一方、そのことを彼女からの絵葉書で知った満男も鳥取へと向かい、泉と再会。寅次郎はふたりと共に、かつて恋したことのある聖子が営む旅館へと案内する。そしてそこで聖子の亭主が死んでしまっていたことを知る寅次郎。四人で楽しい日々を過ごすが、ようやく母親の再婚を祝福する決心がついた泉は、満男と共に静岡へと戻る。寅次郎も結局、聖子に想いを告白出来ないまま、鳥取を後にするのだった。 |
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45作 46作 |
第四十五作 1992年12月 『男はつらいよ寅次郎の青春』 | 第四十六作 1993年12月 『男はつらいよ寅次郎の縁談』 | |||||||||||||||||||||||||||
マドンナ:風吹ジュン(理髪店経営 蝶子) 宮崎(油津)、岐阜(下呂温泉) | マドンナ:松坂慶子 (料理屋勤務 葉子) 香川(琴平・志々島・高見島)栃木 |
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あらすじ | あらすじ | ||||||||||||||||||||||||||||
秋風の漂う頃、旅から旅のフーテンの寅こと車寅次郎は九州・宮崎のある港町で、“髪結いの亭主”よろしく理髪店の女店主・蝶子のもとに居候することになった。一方、寅の故郷、葛飾・柴又では、東京のレコード店に就職した泉が、休み前になると満男の家に遊びに行き、さながら家族のように過ごしていた。そんな泉は高校時代の親友の結婚式で宮崎に出かけ、偶然、寅に出会う。久しぶりの再会に喜ぶ2人だったが、そこへ蝶子がやって来て、大あわてした寅は足をくじいてしまう。泉から電話でそのことを聞いた満男は、大急ぎで宮崎へ。その慌てようにさくらたちは大騒ぎとなるが、満男が急いだのはもっぱら泉に会いたいからだった。宮崎に着いた彼を迎えに来たのは泉だけでなく、蝶子の弟で漁師の竜介も一緒だった。泉が竜介と仲良くしている様子に満男はふくれるが、竜介にはちゃんと許婚がいることが分かると、とたんに元気を取り戻す。こうして彼らはしばしの楽しい日々を過ごすが、いざ満男と泉が帰るという日、寅も一緒に帰ると言い出し、蝶子は怒ってしまう。蝶子も寅のことが好きになっていたのだった。久しぶりに柴又に戻ってきた寅が相変わらず社長と喧嘩したりしている頃、名古屋で働く泉の母親・礼子が入院することになり、泉は東京の勤め先をやめ、名古屋に向かうことを決心する。新幹線のホームまで見送りにいった満男は、離れたくない思いをかみしめ、泉を励まして別れる。そんな満男の成長を見届けながら、寅はまた旅に出るのだった。 |
来年大学を卒業し、就職しなければならない満男は、不況の追い風を受けて採用試験に苦戦していた。さくらと博は苛立つ満男をハラハラしながら見守るだけ。そのうち、自分自身にも嫌気がさした満男は旅に出てしまうのだった。ひさしぶりに葛飾に帰った寅は、事情を聞いて満男を連れ戻すことを安請け合い。さっそく、瀬戸内海の小島・琴島へ出掛けた。満男を見つけ出し、説教してみたものの、当の本人は看護婦の亜矢に恋してしまい、帰る気がないらしい。寅はその晩、とりあえず、満男の居候先に泊まった。そこに年老いた当主とその娘、洋子がいた。洋子は絶世の美女で、神戸では料理屋もやっていたという。しかし、不況のために借金を作ってしまい、それを返すために働き過ぎて体を壊し、この島に帰って来たのだった。疲れ切った様子の洋子を、寅は一生懸命勇気づける。洋子は寅の優しさに次第に惹かれていった。ある日、洋子は満男に寅への気持ちを伝えた。満男自身もまた亜矢から告白され、尻ごみしてしまう。そして明け方、寅は洋子に置き手紙を残し、満男も就職するために東京へ帰るのだった。 |
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47作 48作 |
第四十七作 1994年12月 『男はつらいよ拝啓車寅次郎様』 | 第四十八作 1995年12月 『男はつらいよ寅次郎紅の花』 | |||||||||||||||||||||||||||
マドンナ:かたせ梨乃(アマチュアカメラマン典子) 新潟、滋賀、鎌倉、長崎(雲仙) |
マドンナ:浅丘ルリ子 (旅回歌手 リリー)奄美大島、岡山(滝尾・津山)、神戸 | ||||||||||||||||||||||||||||
あらすじ | あらすじ | ||||||||||||||||||||||||||||
地方都市の繁華街で歌う演歌歌手の応援をした寅は、ふらりと柴又へ帰って来た。甥の満男は就職して半年が過ぎ、セールスマン仕事にすっかり嫌気がさしていたが、そんな彼を寅はやんわり諭す。ある日、長浜市で家業を継ぐ大学時代の先輩・川井信夫から誘われ、満男は休日を利用して地元のお祭りを観に行った。そこで出会った信夫の妹・奈穂に町の案内をしてもらい、2人は急速に打ち解け合っていく。一方、寅も同じ長浜に来ていて、大きな撮影機材を抱えた宮典子がケガをしたのを助けた。年に一度撮影旅行に出かけるのを楽しみにしている典子と寅は周囲から見ると夫婦のように親しくなるが、ケガを聞いて典子の夫・幸之助が迎えに駆けつけ、典子は突然帰ることになった。何も言わず、送り出す寅。一方、地元の曳山祭りたけなわの夜、奈穂と二人きりになり、彼女に何げなく恋人はいるかどうか聞く。そんな満男の姿を見かけた寅は、満男にひと言声をかけて励ました後、すうっと人混みの中に消えていった。その晩、信夫から「よかったら妹をもらってくれないか」と言われ、驚きながらもまんざらでもない満男。だが、東京へ戻ってきた後、それが信夫のひとりよがりだったことを知らされがっくりし、やはり柴又に戻ってきていた寅と恋をめぐって語り合うことに。年が明け、もう会えないと思っていた奈穂がひょっこり満男の元を訪ねてきて、満男は大喜びする。そんな満男を知ってか知らずか、遠くまた旅に出た寅であった。 出典:goo映画 |
柴又のくるまやの面々が、相変わらず連絡も無しで旅の空の寅のことを、今回ばかりは本気で心配していた。それもそのはずで、寅からの最後の連絡は大震災前の神戸からだったのだ。ところが、偶然見ていた『大震災その後−ボランティア元年』というテレビ番組に、寅が村山首相と写っていたからビックリ。さらに神戸で寅に世話になったという被災者まで現れて、一同はとりあえず寅の無事に胸を撫で下ろすのであった。ところが、寅の甥の満男に大事件が起こる。以前から想いを寄せていた泉が突然上京したかと思うと、医者の卵との縁談の相談を持ち掛けてきたのだ。動転した満男は、泉の縁談を祝福するような心にもないことを言ってしまう。泉が名古屋へ戻り、いよいよ岡山へ嫁ぐ日。花婿の兄と新郎新婦を乗せた乗用車の前に、満男の運転する車が立ちはだかり、式をメチャクチャにしてしまうのであった。土地の青年たちに殴られ、警察につきだされた満男は、後悔の念にさいなまれながら、ふらふらと奄美大島へ。そこで一人の美しい女性と出会ったカラッケツの満男は、その女性の世話になるのだが、なんと彼女の家には寅が居候をきめこんでいた。その女性がリリーであることを知った満男は、懐かしい話に花を咲かせるのであった。だが、満男のとった行動について話すうち、寅とリリーは意見が対立、次第に二人の仲はギクシャクしてしまう。そんなところへ、満男を追って泉がリリーの家へやって来た。泉に再会を果たした満男は、そこで泉に対する気持ちを告白する。それからしばらくして、寅はリリーを伴って柴又へ里帰り。くるまやをはじめ、町中がその話題に沸き返り、くるまやではその晩楽しい宴が催されるのだった。しかし、リリーが一晩女友達の家に泊まったことが原因で、寅とリリーは喧嘩。突然リリーが帰ると言い出したので、いよいよ兄が落ち着いてくれると思っていたさくらは大慌てで寅を説得する。しかし寅は言うことをききそうになかった。仕方なく諦めかけたさくらがリリーを送ろうとした時、寅が代わりに送って行くと言い出した。そしてタクシーの中、「どこまで送ってくれるの?」と訪ねるリリーに、寅は「男が女を送るって言った時はな、その女の家の玄関まで届けるんだよ」と答えるのであった。年が明けて新年正月、満男が泉とのデートでいない諏訪家では、博がリリーからの賀状を読んでいる。それによると、寅とリリーはしばらくの同棲の後、やはり喧嘩別れしてしまったらしい。同じ頃、震災後初めての正月を祝う神戸・長田区に姿を現した寅は、地元の人々との再会に顔を綻ばせていた。 |
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