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那古観音~ 千倉温泉・夢みさき ~鋸山(のこぎり山)登山
Ken & Merry's Second Life
2020年06月25日
JR.内房線
那古船形駅
坂東33か所
那古観音
JR.内房線
館山駅
JR.内房線
千倉駅
美味しい温泉
夢みさき

2日目・鋸山 登山⇒
 
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鋸山(のこぎり山)・地獄のぞき
新型コロナウィルスも少し落ち着きを見せ、政府から外出自粛の段階的緩和の目安が発表になる。
お墨付きをもらったわけでないが、あまりに運動不足が続いた数カ月、注意しながら簡単な山登りとコロナ対策をしっかりしているらしい外房の千倉温泉に出かける。
外出自粛の段階的緩和の目安/6月25日は移動等ステップ2で !)
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K&MSecond Life
6月25日の天気予報は午前中 小雨、のこぎり山は標高は低いがそれでも山道は雨で滑りそう。そこで明日の予定だった那古観音は市街地なので小雨でも歩けそう、途中で予定を変更、今から那古船形駅周辺を歩くことにする。
JR内房線の電車内はみな "ソーシャルディスタンス" をとっていて席を開けて立つ人も多くゆったりとしている。
途中駅で停車中には雨もひどく今日は歩くのは無理かなと思えた。目的地近く木更津駅を過ぎる頃から雨も小降りになり、さらに那古船形駅に着くころはすっかり雨も上がり空も明るくなっていた。

JR内房線・那古船形駅は昔懐かしい風情を残してとても良い
2日目・鋸山 登山⇒
早朝の地震の影響で那古船形駅には20分遅れの10:30分頃に到着。
改札口で、駅長さんに那古観音への道順や街の見どころなど聞く。 観光地図を持ってきて親切丁寧に道順を教えてくれた。
説明によると、那古寺以外にもう一か所、”崖観音”という珍しいお寺があるというので、そっちも歩いてみますと答えて、最初の目的地 那古寺に向けて出発。



坂東33か所那古観音は
平成17年9月20日に
一度参拝している⇒

那古観音
那古寺は坂東33番結願寺(最後のお寺)で以前(平成17年)、坂東三三か所巡りの際、車で参拝している。今は免許証も返納して、どこに行くのも脚を使って行かねばならない。健康には良いのだが、時には不便を感ずる。
当時は駐車場まえの正面入り口から入ってのだが、今日は電車で那古船形駅から歩いてきたので、お寺の一番裏側の石段を上がって境内に入る。

那古寺正面/境内
平成17年に来た時は工事中だった本堂も工事も終わって立派に綺麗になっていた。。
2日目・鋸山 登山⇒
般若心経を読経、お参りを済ませ、本堂脇から石段を平安時代の女流歌人.和泉式部の供養塔が建つ那古山へ登る。    
軽い山歩きは、明日予定している のこぎり山 登山のウォーミングアップにちょうど良い。
標高は僅か82.7㍍の展望台へ
平安時代の歌人・和泉式部供養塚。明治三十二年(1899)の造立。なにゆえこんな場所に?
那古山・潮音台展望台から館山湾が一望!天気がよければ伊豆半島も見えるはず
那古船形~JR.館山駅
本日は9㌔の町歩き⇒





2日目・鋸山 登山⇒
山頂・潮音台から右前方は晴れていれば伊豆半島が見えるのだろうが、今日はかすんでうっすらしか見えない。

「多宝塔」宝暦十一年(1761)再建の三間多宝塔。大日如来を安置。
次に、那古観音から、那古船形駅の駅長さんの教えてくれた「崖観音」に向かう。
30分ほど歩くと名前の通りの崖観音(大福寺)が山肌に貼りつくように見える。

崖観音(大福寺)境内図
 崖の中腹にお寺の崖・観音堂
2日目・鋸山 登山⇒
崖観音(大福寺)の縁起........大福寺HPより
この観音堂の本尊は、十一面観世音菩薩で船形山の崖の中腹にある祠に刻まれています。この本尊は、養老元年(717年)に行基(668~749年)が東国行脚の折に神人の霊を受け、地元漁民の海上安全と豊漁を祈願して、山の岩肌の自然石に十一面観世音菩薩を彫刻したと言われています。
その後、慈覚大師(794~863年)が当地に来錫した折に堂宇が創建されたと言われています。
江戸時代になり承応2年(1653年)2月に観音堂が火災にあい、朱印・什宝・伝記等すべて失いました。
正徳5年(1715年)には観音堂が再建され、朱印も復旧されましたが、明治43年の大豪雨により土砂崩れにあい本堂・庭園とも倒壊してしまいました。
さらに大正12年の大震災で観音堂、本堂が倒壊し、御堂は大正14年に、本堂は昭和元年に建てられました。その後、海風などの影響も大きく経年劣化による観音堂大改修を、1年半かけ行い、平成28年7月に無事完成し現在に至っています。

崖観音・観音堂は急な石段を上る
那古船形~JR.館山駅
9㌔の町歩き⇒



2日目・鋸山 登山⇒
急な石段を上がりきった観音堂からは那古観音と同じ、視野いっぱいに内房の海 館山湾がひろがってなかなかの眺め!

ここで那古船形の観光は終わり、千倉海岸の宿「夢みさき」に向かう前に、那古船形漁港にある「ふれあい市場」を見学に行く。が、コロナウィルスの影響で営業休止中、残念。 漁港から館山駅までは4㌔の道のり。電車やバスもあるが
Mの希望で(え~っと思ったが)歩くことにする。

館山・鶴谷八幡宮
館山駅まで歩く途中に鶴谷八幡宮前を通る。
平安時代前期に安房国内の神様を合わせ祭った安房国の総社として建てられた。

内房線・館山駅
那古船形港から約1時間かかって館山駅に到着。コンビニでパンとおにぎりを買って駅のベンチでお昼にする。
14:00発の電車に乗ることを宿に電話して迎えをお願いする。

内房線・千倉駅


館山駅から2つ目の千倉駅下車。
千倉は東京湾側でなく太平洋に面した海岸なので外房線だと思っていたら、もう少し先の安房鴨川までは内房というのだそうだ。どちらも安房鴨川駅が終点駅。 意味がよくわからない。


...が調べてみると、
1925年(大正14年)建設時、東京湾沿いを走る鉄道が安房鴨川まで内房線として先に完成、その5年後に外房線が開通、当時の慣例のまま安房鴨川駅が内房・外房の境界に、線路は繋がっているが、内房線と外房線それぞれの終着駅なので、安房鴨川駅を発車する列車は上りしか存在しない



千倉温泉・ホテル夢みさき
千倉駅まえの送迎車で宿へ10分ほどで到着。スタッフ全員マスク着用でチェックインもフロント前のソファで。
部屋は404号室。狭くも広くもなく二人なら充分。部屋のお風呂はベランダで海を眺めながらというが、お風呂は大きいほうが良い。着替えて一階の大浴場へ。チェックイン間もなくのせいか入浴中誰とも会わず、完全に貸し切り風呂状態。部屋のお風呂で大浴場は敬遠する傾向があるのだそうだ。
2日目・鋸山 登山⇒

404号室
夕食は五時半から2階のレストランで。宿ではコロナウィルス対策で、隣席と距離を開けて"ソーシャルディスタンス"を考えている。

漁港が近いだけあってとても新鮮な刺身の盛り合わせ
お刺身も新鮮だが、お肉もすき焼き、ローストビーフ、揚げたての串カツなど手抜きのない料理がならぶ。
じゃらんの評価=クチコミ総合4.6  
部屋4.4 風呂4.3 料理(朝食)4.3 料理(夕食)4.7 接客・サービス4.6 清潔感4.5 高評価だけのことがある。

ホテル前の海岸
夕食後ホテル前の海岸を歩く。夏は海水浴でさぞ賑やかな海辺だろうが今日は誰もいない海。

ホテル前の/瀬戸浜海水浴場
夏はいい海水浴場になりそうな遠浅の海岸。ホテルのスタッフの話では、今年の夏は海開きもなく監視員もいないので、泳ぐ場合は自己責任になると言っていた。
2日目・鋸山 登山⇒

最上階の展望風呂
夕食後もう一度大浴場へ。
最上階の展望風呂へ入ったあとそのまま一階の大浴場へ、はしごする。この時間どちらのお風呂もがらがらでゆっくりのんびり。あとスタッフから聞いた話だと、コロナウイルスで、部屋の露天風呂↓で済ます方も多く、大浴場は敬遠する傾向があるのだそうだ。なるほどだが、勿体ない!

部屋付き露天風呂・宿泊プランによりいろいろ
  部屋付きの露天風呂はプランによっていろいろ。 うちは格安プランなので右下のお風呂 ↑
  ここで済ます方も多いとか。でもお風呂は大きいほうが気持ちいい。部屋のお風呂も温泉をひいているそうだ。

大浴場は時間により男女入れ替え制
 格安プランだったが食事も部屋もお風呂も充分のサービスだった。
2日目・のこぎり山へ
2020年06月26日
千倉温泉
夢みさき
JR.内房線
千倉駅
JR.内房線
浜金谷駅駅
のごぎり山登山
JR.内房線
保田駅



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26日朝食後チェックアウト。千倉駅まで送ってもらう。運転手さんの話では「ホテル夢みさき」はコロナウイルス自粛中も全員一丸になって感染防止を考えながらずっと営業を続けていたと言われる。こういうホテルもあるんだと、それには少し驚いた。
10時の電車に乗り館山駅で乗り換え、のこぎり山最寄り駅の浜金谷駅へ向かう。
11時過ぎに浜金谷駅に到着。のこぎり山目指して出発。天気は青空も見え始め、山歩きには最高のコンディション。
地図を見ながら駅前通りを進み 左、左に折れ進むと案内標識もあちこちに表示されているので迷うことはなかった。

鋸山 Nokogiriyama
登山コースについて--By Mt.NOKOGIRI

金谷側の麓から歩いて登るコースには、「関東ふれあいの道コース」「車力道コース」「石の階段道コース」などがあります。「石の階段道コース」は、ロープウェーに沿って最短で登ることができますが、階段や大半が木立の間の道となります。
関東ふれあいの道コース」は、途中、眺望の良い観月台、トイレのあるあじさい広場などを経由して登ります。
車力道コース」は、鋸山から切り出された「房州石」を麓まで運び降ろした道で、石を滑らせ降ろした石敷きの道(=車力道)の名残を見ながら、登ることができます。

登山マップは、こちらからダウンロードできます。
日本寺西口管理所から地獄覗き百尺観音・北口管理所の間は、日本寺の拝観料(大人700円・子供400円。団体割引あり)が必要です。また、保田側からは、鋸山登山自動車道(有料)、鋸山観光道路を経由して、日本寺の境内から登ることもできます。それぞれのコースの詳細については、リンク先をご覧ください---By Mt.NOKOGIRI



まもなく 登山道に入る。計画した登山道は初心者向けの「車力道」を登り、帰りは「関東ふれあいの道」を下山する予定。
昨日までの大荒れの天気が嘘のような好天。初心者向けの「車力道」を進む。
台風被害でいくつかの登山道は通行止めだが、「車力道」と「関東ふれあいの道」は開通している。
「車力道」 登り始めは緩やかな登りで快適にすすむ。が途中からは台風の爪痕が、あちらこちらの倒木を乗り越えたり脇を通って進む。
度重なる台風で甚大な被害を受けた鋸山、復活に向けた挑戦!
皆さまこんにちは、金谷ストーンコミュニティーです    
私たちは「年々寂しくなる町を何とかしよう」という思いから2006年に活動をはじめました。地域内外の有志が集まり、金谷独自固有の魅力である鋸山、房州石の歴史そして、かつて多くの文人墨客が訪れた歴史をテーマに調査研究を進めています。
また、日頃から鋸山の保全維持のため、住民や関係者と共に山の整備・清掃活動を行っています。
さまざまなニュースでも取り上げられています通り、房総半島を直撃した台風15号により、金谷地区は過去に経験したことのない壊滅的な被害を受けました。
そして、町の多くで屋根が飛ぶなどの被害が出ています。この房総のシンボルである「鋸山」も同様に甚大な被害を受け、3つある登山道の全てが使用できなくなってしまい、鋸山観光と共にある金谷の町全体に大きな打撃をもたらしています。
そんな中、SNSなどで拡散された山の被害状況を見かね、全国より、「鋸山を救うために何かできないか」「鋸山に恩返ししたい」といったご支援のお声、お申し出をたくさんいただき、私たちだけでなく鋸山を愛する人がたくさんいることに気づかされました。
また、鋸山は観光業を営む地元住民の生活にも大きく影響しており「鋸山復興のために、自分たちも何かできることはないか。」との声が多数上がり、このプロジェクトの誕生にいたりました。
この鋸山を1日でも早く復旧すべく、まず3本あるうちの2本(ふれあいの道、車力道)の登山道の早急な開通を目指して、整備のための費用として、今回のクラウドファンディングの立ち上げを決めました。このプロジェクトは我々、ストーンコミュニティーだけでなく、鋸山を愛する人々、地域住民の想いを形にしたプロジェクトです。
必要な費用はおよそ300万円。皆様のお力をお借りし、金谷のまちと共にある、この鋸山を1日でも早く、復旧し、多くの登山客の方々をお迎えできる状態にできればと思います。どうかお力をお貸しいただければと思います。

倒木の多い車力道を登る
台風15号で大きな被害を受けた登山道のうち車力道は2020年1月15日に復旧、だがいたるところ倒木も多く完全に復旧はされていない。
山の天気は変わりやすい。40分くらい登ると分岐点に出る。展望台はもやがかって何も見えませんと途中で行き交った青年が言っていたので、日本寺への道を急ぐ。
昨日までの雨で滑りやすい道を注意しながら進む。


いよいよ石切り場が近づいてくるとあちこち、鋸山の名前の通りののこぎり壁が出始める。
めったに見かけない、石切り壁のあいだの山道を進む。
こんな石切道具を使って人力で見事に石切りが行われてたのは驚き!

山頂駅構内展示の房州石/石切道具(気の遠くなるような手作業.石切り)


鋸山 Nokogiriyama

鋸山(のごぎり山)から切出された「房州石」
のごぎり山は、火山噴出物が海底で長い年月をかけて固まった凝灰岩でできています。加工しやすくまた耐火性があり竃や七輪などにも使われ庶民に親しまれました。「房州石」と呼ばれたこの石は建築資材に適し、江戸時代中頃から明治から大正にかけての最盛期には年間約56万本が切り出されました。今でも麓の町金谷では、石塀、門柱、蔵、建物の土台、灯篭などに房州石が使用されています。また、横浜の開港、台場の整備、皇居の造営など、東京湾岸の土木建築工事に使用され、日本の近代化を土台から支えました。
山全体が「房州石」なのだろうか。綺麗に切出されたあとの石壁は見事
石切り場わき山道は鎖場など急な登坂道もある。切出した石を運び出すのも大変だったと想像できる。
のぼり始めてから一時間半ほどでのこぎり山 中腹の日本寺裏北入口に到着。
入口で入場料700円支払い入る。お寺の境内というよりは山上の公園のよう。
日本寺・北口に入り 崖に囲まれた細道を抜けるとすぐに巨大な「百尺観音(約10.3m)」
大戦の犠牲者の供養と東京湾周辺の航海、航空、陸上交通犠牲者の供養のために建立された。
百尺観音脇から見上げる先に「地獄のぞき」かすんで見える。

空中にせり出した「地獄のぞき」
のこぎり山・地獄のぞき 
絶壁の上に突き出した岩盤「地獄のぞき」。崖からせり出した場所からは約100m下を見下ろすことができる。    この周辺もかつては石切り場であり、石を切り出した跡にそそり立つ壁

弘法大師・護摩窟
大仏への途中にある弘法大師護摩窟(東海千五百羅漢のひとつ) 
大仏も作った大野甚五郎英令が生涯をかけて刻んだ石仏1553体は世界一の数。 

のこぎり山・日本一大きい大仏「薬師瑠璃光如来」
のこぎり山・大仏は 奈良の大仏の2倍以上
日本寺は聖武天皇の勅詔と光明皇后のお言葉を受けた行基菩薩によって、神亀2年(725)に開山。その後徳川三代将軍・家光の時に曹洞禅宗となった。日本寺がある鋸山には多くの文人も訪れ、小林一茶などの句碑や夏目漱石が『木屑録』に日本寺でのことを記し、漱石と交流のあった正岡子規は後日、漱石とは逆ルートで鋸山を訪れた旅を『かくれみの』に記した。
日本一の大仏「薬師瑠璃光如来」は総高31m。鎌倉高徳院の鎌倉大仏は総高13m、奈良東大寺の大仏は総高18mなので、日本寺の大仏は鎌倉の大仏の2倍以上である。
現在ある日本寺の大仏は昭和44年に復元されたもので、初期のものは天明3年(1783)に大野甚五郎英令が27人の門徒と、岩山を3年かけて彫刻した約24mだった。

観光自動車道路の両側には あじさい の群生あちこち咲き誇って綺麗
帰りは強い風で雨も心配になり、ロープウェイで下ろうとしたが、強風で運行停止。表参道の山道を避けて観光自動車道路を保田駅方面に下山。  
内房線・保田駅から電車に乗り帰る
内房線・保田駅

のこぎり山・千倉温泉一泊の旅 
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