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東北はほとんど行く機会もなく知らない所ばかり、山形で初めての温泉旅行は、以前見て感銘を受けたNHKドラマ『上杉鷹山』(筒井道隆主演)の地、米沢へ。 |
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上杉神社 |
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鷹山ゆかりの上杉神社
【上杉神社】出典Wikipedia
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上杉謙信が天正6年(1578年)、越後春日山城で急死した際、遺骸は城内の不識庵に仏式にて祭られたが、次代の上杉景勝が会津藩を経て慶長6年(1601年)米沢藩へ移封されたのに合わせ、謙信の祠堂も米沢に遷された。以後、仏式で祭が執り行なわれてきたが、明治に入ると祠堂のまま神祭に改め、合わせて米沢藩中興の名君である上杉鷹山を合祀し、山形県社「上杉神社」とした。明治9年(1876年)5月21日、現在の旧米沢城奥御殿跡に社殿が遷座された。上杉 鷹山:『生せは生る 成さねは生らぬ 何事も 生らぬは人の 生さぬ生けり』現代では鷹山の和歌の方が馴染みがあるが元々は武田信玄の名言をコピーしたもので、武田信玄の名言「為せば成る、為さねば成らぬ。成る業を成らぬと捨つる人のはかなさ」を変えて言ったものとされる。
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午前8:36 東京駅発新幹線で出発。 福島あたりまで行くと外は猛吹雪。 観光は無理かなと思っていたが10:46米沢駅に着く頃は雲の間からきれいに晴れ間が見え始めていた。駅からゆっくり街を見ながら上杉神社まで歩く。深く積もった雪の神社は何もかも隠し一面真っ白。おそらく鷹山の生きた時代は、今日と同じ情景を鷹山も見たことだろうと思う。そんあ感慨を持って一時間ほどゆっくり見学。(後で調べると上杉神社は大正8年に再建されたものだ) |
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12:30分、バスで白布温泉に着く。以前テレビで見て行く予定だった米沢ラーメン店があいにく休み、がっかりしながらバス停隣の土産物店2階食堂に入ってうどんを食べる。ここが懐かしい雰囲気の食堂でとても素朴な味でむしろラーメンよりよかったかもしれない。 |
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綿帽子の駐車場の売店 |
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うどん店からは歩いて直ぐの、今夜の宿”季美の宿・山の季”に早めのチェックイン。荷物を置いて東屋のお風呂に入りに行く。相当年期の入った本当の温泉の雰囲気で、こういうお風呂は効能も強そう。露天風呂もあるがこちらはごく普通で特色はなかったが雪見の露天風呂は格別だ。 |
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東屋のお風呂に入る |
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山の季に戻り又お風呂へ入る。こちらは大きくてきれいだが情緒は今ひとつなかった。 |
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白布温泉効能 |
泉質:含硫黄−カルシウム−硫酸塩温泉(石膏硫化水素泉) |
効能:動脈硬化症/きりきず/やけど/慢性皮膚病/慢性婦人病/糖尿病/高血圧症/神経痛/筋肉痛/関節痛/五十肩/運動麻痺/関節のこわばり/うちみ/くじき/慢性消化器病/痔疾/冷え性/疲労回復/健康増進 |
山 石(収容人数20名 24時間入浴可能) 男女21:00 入れ替え |
山の木(収容人数20名 24時間入浴可能) 男女21:00 入れ替え |
貸切風呂(収容人数3名 24時間入浴可能) |
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夕食は6時から食事処で。米沢牛の料理は選択でき、すき焼きにしてもらう。そのほか料理は品数も多く皆しっかり調理され仲居さんのサービスも良くゆっくりいただく。 |
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山の季・夜景 雪の穴にローソクの灯りが綺麗
西屋の夜景
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米沢牛の料理 |
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山の季は朝食も味付け・食材・品数も多く心こもった料理に満足だった。
従業員の接客態度も良く気持ちよい宿。★4〜5。
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中居さんに頼んで玄関前で写真を撮ってもらう。帰りに宿の前の道を上に歩いてみる。 |
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山の季から上に歩き左が東屋で右に西屋がある。 バスの時間までぶらり見学。 |
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西屋 |
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バスで米沢に戻るが新幹線の時間ぎりぎりで冷や冷やしたが何とか間に合い米沢駅に着いて、急いで駅の売店で、お土産に米沢牛焼肉弁当を買って新幹線に乗る。
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家に着くと娘と愛犬マミが出迎えてくれる。マミは長い留守番に疲れた様子を見ると年取り寂しい思いをさせるのは不憫に思う。 |
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